精神病を偽り20年生きてきた男の「誰も救われない悲劇」

Illustration by Simon Prades for Rolling Stone



重なる偶然

ハーモンとモントウィーラーは2010年12月7日に結婚した。「真珠湾攻撃の日ですね」と、スーザンは苦々しく言った。モントウィーラーはまだオンタリオの支援住宅に住んでいたが、週末はワイザーでギルとの間に儲けた2人の子供も一緒に過ごすこともしばしばだった。「トニーは寝室に入るなり引きこもってしまうので、子供たちはアニタに任せきりでした」とスーザン。「足音や叫び声、罵声が聞こえてきました」

アニタがモントウィーラーに耐えられたのは、彼女の精神疾患のせいもあるとスーザンは考えている。「双極性障害の人は、誰かに愛してもらいたいがゆえに行動することがあるんです」と彼女は教えてくれた。「トニーはまさにそれを与えてくれた。トニーは人を操るのがうまい人でしたから」

2011年初め、モントウィーラーとハーモンは一緒に屑鉄集めを始めたが、ジョンデイというひなびた地域に住む老夫婦から1万4000ドル相当の鉄材を盗んだとして、有罪判決を受けた。ハーモンは懲役16カ月、モントウィーラーは懲役2年を食らった(2016年、2人が刑期を終えた後、オレゴン州控訴裁判所は然るべき証人が証言を却下されていたことを理由に、2人の有罪判決を撤回した)。2012年9月、留置所でスネークリバー州立刑務所へ移送されるのを待っていたモントウィーラーは、保安官代理にメモを渡した。誘拐事件から16年間、恐らく精神的破綻を示す唯一の出来事だ。「夢なのか、幻覚なのか、幻聴なのかはわからないが」とモントウィーラーは書いている。「アニタと俺は交通事故に遭うと言われた」。彼は保安官代理に「アニタが俺たちの身代わりに撥ねた死体のありか」を教えると約束した。さらに「アニタはわざとやったわけじゃない。あれは事故だったんだ」

刑務所で、彼は定期的にハーモンと連絡を取り合った。「彼は留置所にいる間、毎日娘に手紙を書いて愛を告白していました」とスーザン。2013年、ハーモンは眉を整え、髪をおさげにして刑務所から戻ってきた。彼女は、前科者の雇用に積極的なアイダホ州フルーツランドの玉ねぎ加工工場Dickinson Frozen Foodで職を得た。

モントウィーラーの刑期が終わりに近づく頃、PSRBのブリトンは個人的にいくつかの住居施設を回って彼のために空き室を探したが、全て断られた。そのうちのひとつが、オンタリオでLifewaysが運営するマクナリープレイスだった。そこのジョン・ベイツ主任医師は、ハーフウェイ時代のモントウィーラーの幼馴染だった――ベイツの父親が高校の校長で、ベイツとモントウィーラーは同じフットボールチームに所属していた。昔の関係を「一種即発状態だった」と言う彼は、モントウィーラーの入居を拒否した。代わりにモントウィーラーは、2014年4月には刑務所からオレゴン州立病院に移送される。なんという運命の悪戯だろう、ジョン・ベイツは一時的にモントウィーラーを遠ざけたに過ぎなかった。あの日フォード・エクスカージョンを運転し、モントウィーラーによって殺されたデヴィッド・ベイツは、ジョン・ベイツの弟だった。「もしマクナリーへの入居を私が認めていれば、彼はまだ監視下にあったのに。こんなことは起こらずに済んだのに」


デヴィッド・ベイツ(courtesy of the Bates Family)

Translated by Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE