AK-69が20年の「時」を語る、ヒップホップという誇りと希望

AK-69(Photo = Maciej Kucia)

これまでに単独での武道館公演を5度も達成し、デビューから20年以上を数えてもなお精力的に活動を続けているAK-69。かつては自身のことをインディペンデント・キングと称した彼だが、現在もなお、かつてと同じ姿勢で最前線に立つ努力は怠らない。今回はカルバン・クラインのアンダーウェアを身に付けたAK-69に、自身のことやシーンのことまでを赤裸々に語ってもらった。


―今日は、2月24日に¥ellow Bucksさんとともに行った名古屋の日本ガイシホールでの2マンライブを終えられてからわずか2日後ですが、今、どんなお気持ちですか?

俺が初めてのアリーナ公演としてガイシホールでのライブを開催したのが2011年で、そのライブを客席で見ていた少年こそが¥ellow Bucksだったんです。その彼が今、自分の隣に立っているということに感動しましたね。初めて、人の成長を見て「よかったな」と感動した瞬間でもありました。

―ステージの上ではAKさんご自身がW.C.C.(※名古屋のヒップホップ・シーンの礎となるDJ MOTOが主宰するヒップホップ・クルー)のロゴが入った衣装を着ていたことにも、ハッとしました。DJ MOTOさんとは疎遠だったとも聞いていましたので、余計に。

ライブ中のMCでもMOTOくんの名前を出しましたけど、俺がみんなの前でMOTOくんについて言及すること自体、13年ぶりくらいだったんですよ。やっぱり、育ての親がいなければ子はいない。名古屋のDJ MOTOやG.CUE(※W.C.C.クルーに所属するラッパー)がいるからこそ、俺がいるんです。今回、ライブの前日に思い立ってMOTOくんにメールしたんです。「MOTO君から始まった名古屋のヒップホップの現在形を見に来てください」と。そうしたら「ご招待ありがとう、行かせてもらうよ」と返事をもらって。


デニムトラッカー: ¥28,600(税込)/ ルーズジーンズ: ¥24,200(税込)/ ローライズトランクス: ¥5,500(税込):Calvin Klein

―AKさんがKalassy Nikoff名義で最初のCD『PAINT THE WORLD』(2004)をリリースされてから今年でちょうど20年目。改めて、デビュー当時の名古屋のシーンはどのような感じだったのでしょうか。

当時、東京ではジブさん(Zeebra)やNITRO MICHROPHONE UNDERGROUNDといったラッパーたちがいてメディアにも取り上げられていたけど、俺たちはメディアの中にはいなかった。「だったら、俺たちで雑誌やテレビ番組を作っちゃおう、服やブランド、それを売る店も作っちゃおう」みたいな感じだったんですよ。それに、気性も荒かったので余所者は受け付けない、という空気もありました。でも、だからこそ名古屋で鍛えられて今のAK-69が形成されている、と感じます。

―逆に、ご自身の名前が全国区になってきたと感じたタイミングはいつ頃だったのでしょうか。

2007年に「Ding Ding Dong ~心の鐘~」がリリースされたタイミングですかね。この曲が発表されから地方のイベントにも呼ばれるようになったんですよ。それこそ、¥ellow Bucksも初めて聴いたヒップホップがその曲だと言ってくれて。BAD HOPの子たちも、当時、まだみんな携帯電話ではなくてPHSを持っていた時代に、全員の着メロが「Ding Ding Dong ~心の鐘~」だったみたいで。溜まり場で電話が鳴ったら誰の電話が分からなかった、という話をあとから聞きましたね。当時はSNSも発達してない時代でしたし、インディーズでやってきた俺は全国に向けたプロモーションを大々的にやっていたわけでもなかった。純粋に口コミだけで楽曲人気が広がっていったということが、何かすごいことだな、と今になって思います。



―ちょうど10年前の2014年3月に初めての武道館単独公演を成功させてから、この10年で実に5度の武道館公演を実現させています。

何にせよ、初めてやる時ってハッピーな気持ちが勝るんですけど、辛いのは「AKはそれくらいやって当然だよね」って言われるようになってからなんですよ。

―過去の自分を超えていきながらキャリアを維持していく秘訣は何でしょうか。

「こういう理由で続けて来られました」とはっきり言葉で表すことは難しい。だけど言えることは「なりたい自分が明確である」ということ。そして、「してない努力はなくしてきた」ということ。なんでもそうですけど、何となく、じゃ無理なんですよね。何となくやっていたら、何となくの結果しか出ない。それと同時に、自分の原動力はやっぱり「男としてかっこつけないと」という思いがある。ガイシホールでのライブの後に¥ellow Bucksからメールをもらったんですけど、「今まで前線でやり続けてくれてありがとうございます」って言われたんですよ。単純に見た目がかっこいいかどうかという問題ではなくて、ずっと現役バリバリでやり続けることが、AK-69としてのかっこいい男なのではと思っています。


ローライズトランクス: ¥5,500(税込):Calvin Klein

ーガイシホールでの公演のわずか5日前にはBAD HOPが東京ドームでの解散ライブを成功させました。そこには、ゲスト・アーティストとしてAK-69さんも参加し、「SOHO」を披露されたわけですが、改めてドームから見えた景色はいかがでしたか?

いやあ、美しかったですよね。彼らの曲の歌詞にもありますけど、BAD HOPのメンバーは、地元のしがらみに追われて、時には家に帰ることもままならなくて高架下で寝泊まりしたこともあるくらい悲惨な状況にいたわけですよね。そんな時も、俺の「START IT AGAIN」を聴いて涙を流していたとも教えてくれて。そうしたストーリーを持った子達が、最後のドーム公演で俺を呼んでくれたっていうこともアツかったですね。ステージに立ってラップしている間、最後の方はお客さんよりも目の前のYZERRの表情しか自分の目に入って来なかったです。曲が終わりに近づくにつれてYZERRと距離が近くなっていったんですけど、あの瞬間、目の前のYZERRにしか集中していなかったですね。ちょっとウルウルしていた表情で、まともに見れなかった感じもありました。ライブ前日の夜中、フェラーリを路肩に停めて「SOHO」をめっちゃ練習したんですよ(笑)。あいつらにとって最後の晴れ舞台なんだから、絶対に間違えたらいかんと思って。

あの日、アーティストの中にもいろんな感情を抱いている人がいたと思うんです。東京ドームというステージを目前にして悔しいやつもいただろうし、「俺じゃ無理だな」と思ったやつもいたと思う。でも、俺は素直にいい気分でした。

Photo = Maciej Kucia / Hair and Make-up = Taichi Yoneo (untitled.)

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