大村雅朗が40年前に志向していたクールなサウンド、プロデューサー木﨑賢治と語る



田家:木﨑さんが選ばれた今日の2曲目、1979年、ばんばひろふみさんで「SACHIKO」。これも思いがけない選曲でもありました。

木﨑:そうですね。自分もまったく思いもかけなかったんですけど。

田家:当時、これが大村さん編曲だって思ってなかったんですよ。

木﨑:僕もなくて。この間福岡でイベントがあったときに佐橋さんから、「これ大村さんだよ」って言われて。

田家:佐橋さんがアルバム『大村雅朗の奇跡』に選ばれていて、どんな繋がりがあったんだろうと思っていろいろ考えていたら、ばんばさんはエピックで、エピックで大村さんを起用したのがプロデューサーの小坂洋二さんだった。小坂さんは元々渡辺音楽出版だったなと思って。木﨑さんと小坂さんは当時から繋がりがあって、その頃に大村さんの名前が出たんじゃないかって推測をしたんですけど、そういうことじゃなかったですね。

木﨑:大村さんがどこで出てきたか自分も定かじゃないんですけど、小坂さんとの繋がりは銀色夏生さんがまだ銀色夏生さんって名前でやる前に1回紹介されていて。

田家:小坂さんから紹介されていた。

木﨑:そうなんです。

田家:木﨑さんは1946年生まれで、小坂さんは1948年生まれ。渡辺音楽出版の中ではちょっと新しい世代だったんじゃないですか?

木﨑:小坂さんはマネージャーだった。渡辺プロの。布施朗とか大塚博堂さんとかのマネージャーをやったりしていました。佐野元春さんも小坂さんがやっていて、その紹介で仲良くなって、

田家:木﨑さんが選ばれた今日の3曲目は、今名前が出たこの人です。1981年6月発売の佐野元春さんで「SOMEDAY」。

Rolling Stone Japan 編集部

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