大村雅朗が40年前に志向していたクールなサウンド、プロデューサー木﨑賢治と語る

大村雅朗

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年12月の特集は「大村雅朗没後25周年」。1978年に八神純子「みずいろの雨」のアレンジャーとして脚光を浴びてから男性女性を問わずアーティストのアレンジを手掛け、1997年に46歳の若さでこの世を去った編曲家・大村雅朗を偲び、軌跡を辿る。パート4では「そして僕は途方に暮れる」の制作プロデューサーで株式会社ブリッジの代表取締役の木﨑賢治をゲストに迎え、思い出の曲をテーマに8曲を選曲し語る。



田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れてるのは大澤誉志幸さん、「そして僕は途方に暮れる」。1984年9月発売。作詞が銀色夏生さん、作曲が大澤誉志幸。先週のゲストの亀田誠治さんが、この曲でアレンジに目覚めたという話をされておりました。今週の前テーマはこの曲です。

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田家:今週は最終パート4、「そして僕は途方に暮れる」を制作されたプロデューサー木﨑賢治さんです。大村さんの手がけたアーティストの中には、木﨑さんが手がけられた方がたくさんいます。吉川晃司さんとか沢田研二さんも彼ですね。当時も渡辺音楽出版で、現在は株式会社ブリッジの代表取締役です。こんばんは。

木﨑:こんばんは。よろしくお願いします。

田家:25周年で福岡でのトリビュートコンサートとか東京でのイベントがあったりして、そこにも参加されております。「そして僕は途方に暮れる」は木﨑さんがいなかったら生まれてない。生みの親ですね。

木﨑:一応。

田家:あははは。この曲で一番思い出すことは何ですか?

木﨑:この曲は3枚目のアルバムで、曲がなかなかできなくて困っていたんですね。そのときにある制作の人と「人にあげたけど返された曲で歌ってヒットした曲がいくつかある」って話になって、大澤が誰かにあげて返された曲ないのって聞いたら「凍てついたラリー」っていうタイトルの曲があって。その曲を聴いたら、いい曲だなと思って。その時大澤はハードボイルド。レイモンド・チャンドラーを読んでからハードボイルドの路線のアーティストにしたいと話し合って、そういう詞を作るようになっていて。埼玉大学を卒業したばかりの銀色夏生の本名しか知らなかったときにハードボイルド路線でやりたいんだけどってなって。その時に「僕は途方に暮れる」ってフレーズがあって。いろんな落書きがあった中に。このタイトルだけすごい気になってて。「そして」ってつけたらミステリーっぽい、いい感じになるなと思って。

田家:元々は「僕は途方に暮れる」だったものを、「そして」をつけた方がいいよって木﨑さんがおっしゃった。

木﨑:「そして僕は途方に暮れる」って言葉は曲の最後に入らない?と大澤に聞いたら、入るけど曲がフォークソングっぽくてどうしたらいいんだろうって。それでトンプソン・ツインズの「ホールド・ミー・ナウ」とかポリスの「みつめていたい」とか、ああいう上がリフで音程が変わらないベースがコードに沿って変わっていくみたいなのがいいって大村さんに言った。そこから大村さんが作業をして、こういうサウンドになったんです。

田家:そのサウンドで亀田さんがアレンジャー人生に目覚めてしまったという曲になったわけですが、そもそもその大村さんとの出会いをこの後お聞きしようと思います。今日は大村さんに関する曲をですねいろいろ選んでいただき、思いがけない曲で始まっておりました。1978年7月発売の木の実ナナさんの「うぬぼれワルツ」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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