大村雅朗没後25年、生前最後のスタジオをともにした石川鉄男と音像を辿る



石川:この曲は外せないというか、日本でプリプロダクションをしていて、松武さんと仮のオケを作って、それをアメリカに持っていって差し替える。向こうに行くとものすごくバカにしているんですって。あの頃のアメリカ、今もそうなのかもしれないですけどエイトビートのグルーヴってすごい大事な時代だったんですよ。YMOが出てきて変わってきたとは言え、無機質なエイトビートは子どもの音楽だっていうことを言われたらしくて。大村さんは「この無機質がいいんだよ」と。所謂テクノですよね。テクノのビートを、とにかく正確にって言って結局モヤッとしたまま出来上がったんですって。向こうのミュージシャンたちも、いいんだったらいいよみたいな形で終わったらしいんですけど、結果すごい売れちゃったから(笑)。売れるって理屈じゃないなって。

田家:亀田さんもアルバムの中で選ばれてまして、ドラムマシンのタイトなサウンドに広がる新鮮なコード感とシンセの音。編曲について意識したことがなかったベース小僧がアレンジに目覚めた。この話は来週出ると思うのですが。

石川:亀ちゃんはやっぱりいいところを見てるんですよ。超絶技巧な演奏というより、ずーっと続いていくようなビートとか人が見過ごしてしまうようなところを必ず見つけるというか、そこを聴いているんだみたいなところがプロデューサーだなと思いますね。

田家:さっき石川さんが大村さんにいくつか第何期があるとおっしゃりましたけど、70年代~80年代って音が変わっているでしょう。80年代は特に半ばくらいからまた変わったりしますよね。そういう変わり方と大村さんはシンクロしているものですか?

石川:正確な時期はないのですが、90年代最初から中頃にかけてビートが結構変わってきましたよね。80年代のディスコ、ダンスからエレクトリックに変わってきた。ラップとかヒップホップとかに非常に共感するものがあったというか、もともと自分の好きなビートがそこにあったんでしょうね。僕もスタジオで結構悩まされました。朝行くと、シンガーソングライターの歌謡曲的な曲なんですけど、大村さんが「石川くん、こういうビート入れたいんだけど」ってCDを聴かされるんですけど、全然違うやつで(笑)。そこで化学反応を見たいんですよね。絶対合わないんだけど、石川がこれをやったらどんなふうに混ざるんだろうみたいな。ボツる時もあるんですよ。でもとにかく新しいビート、音数の少ないオケを目指していましたね。変わっていったと言うと、それまでは音色の深さにハマっていた時代から、音数少なくビートにという意味ではすごく大きく変わった。ニューヨークに住まわれた時から大きく変わりまいたね。

田家:さっきお聴きいただいた「君はクロール」とか「メイン・テーマ」は音色、音像みたいなところにこだわっている時代で、そこからだんだんビートに変わっていく。でもやっぱりいつも新しいものというのが常に頭にあって。

石川:新しいものじゃないとノーでしたね。決り文句で「今じゃないんだよね~」って言うんですよ。「どこがですか?」って訊くと「いや、なんか今じゃないんだよね」って。具体的にどこをどうでこういうふうにしたいんだはない。

田家:職人の言葉ですね(笑)。

石川:その言葉に非常に悩まされて(笑)。

田家:次の曲も最近、後年と言っていいんでしょうかね。曲が発売された後に評価が年々高まっている曲であります。今日の7曲目、大江千里さん1988年の曲「Rain」。

Rolling Stone Japan 編集部

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