キース・リチャーズのワイルド伝説19選(前編)

Photo: Graham Wiltshire/Getty

数々の危機を乗り越えてきたロックアイコンの驚くべき実話と尽きない強運。過剰行動、自暴自棄、尽きない強運から成る、よく生き延びた人生の驚くべき瞬間を紹介。

確かにキース・リチャーズは年齢を重ねて丸くなったかもしれないが、彼の自伝を読んだ人なら、ザ・ローリング・ストーンズのアイコンであるギタリストが一人で何人分もの大騒動を起こしてきたことを証言してくれるだろう。2015年9月18日にリリースされた1992年ぶりのソロアルバム、『クロスアイド・ハート』に敬意を表し、半世紀以上に渡り注目され続けているリチャーズの、最もワイルドで奇妙な瞬間を振り返ろう。

キースが父親の遺灰を吸ったというエピソードはご存じだろう。(この有名な事件について、「オヤジは気にしちゃいないさ。どうでもいいと思っているよ」とリチャーズ)では、炎に包まれたローレル・キャニオンの家からキースが半袖のTシャツ一枚で飛び降りた事件や、アルバム『女たち』のレコーディングの間、9日間ぶっ通しで一睡もしなかったことはご存じだろうか?他にもたくさんの逸話があるが、ここにキースの伝説をまとめて紹介しよう。

カナダでの逮捕、ファンの力 (1977)
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Photo: Ron Bull/Getty

キースは、1970年代中頃までには薬物絡みの逮捕の常連となっていたが、カナダでの逮捕はそれまで以上に深刻な事態を引き起こし、人気絶頂だったローリングストーンズの活動継続までもが危ぶまれた。1977年2月、カナダの警察はリチャーズが宿泊していたホテルの部屋から約1オンス(約28グラム)のヘロインを押収した。転売目的の不法所持の罪に問われ、長期の懲役刑が予想された。リチャーズは保釈金を払い、米国で実験的な依存症治療を受けるための特殊なビザを手に入れた。1978年10月の判決の日まで、「出廷する度に500~600人のファンが来て、『キースに自由を』って何度も叫んでくれた」とキースは当時を振り返る。熱心なファン、いい加減な検察当局、強靭な弁護団の狭間で、キースは有罪判決を受けたが投獄は免れた。(保釈中にはカナダの首相、ピエール・トルドーの盛んな若妻、マーガレットともどんちゃん騒ぎをした。当時、彼女はよくストーンズとつるんでいた)キースには社会奉仕活動が課せられ、盲人のためのチャリティコーンサートを開くことになった。全盲の献身的ファン、リタがキースに代わって判事に直接訴えてくれたことが実を結んだ。 「リタは、ヒッチハイクでライヴに来てくれていた。あの子は筋金入りの怖いもの知らずさ。」2010年に執筆した自伝『ライフ』で、キースはこう語った。「リタのような(ファンの)愛と献身にはいまだに驚かされている」

9日間眠らない男(1992)

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Photo: Michael Putland/Getty


1992年のインタビューでリチャーズは、「人から分泌される最強の物質はアドレナリンだ」と語っている。確かにリチャーズが睡眠をとらずに起きていられる時間は信じられないほど長い。1978年のアルバム『女たち』の『ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン』の収録で、リチャーズは5日間寝ずにスタジオにこもるという無茶をした。(「エンジニアの一人が机の下にドサッと倒れてそのまま眠ってしまった。それで別のエンジニアに入ってもらってそのまま収録を続けた」とリチャーズは『ライフ』に書いている)しかし、実際の不眠記録はその約2倍だ。「9日間まばたきもしていない」とリチャーズは自慢げに語った。「結局立ったまま寝落ちした。カセットを棚に戻していた時だった。最高の気分だったが、振り向きざまに眠ってしまった。スピーカーの角に倒れて、起きたら血の海だった。『赤ワインか?』って思った」

Translation by Rolling Stone Japan

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