大村雅朗没後25年、生前最後のスタジオをともにした石川鉄男と音像を辿る



田家:石川さんは1965年生まれで、小学生の時に関わられたのはこの頃?

石川:この前です。親父がコンピューターの設計技師というか、幅広く技術的な職業で世界を駆け回っているみたいな感じで。その時にヤマハがシンセサイザーを作っていたんですけど、もっと複雑なFMシンセサイズを作りたいとなって、プログラミングが必要なんですね。そこに親父が抜擢されたんですけど、急に他にもっとおもしろい仕事が見つかったらしく、「ちょっと俺やらないわ」とか言い出して「鉄男行ってこい」って。おふくろが「この子小学生よ」みたいな感じだったんだけど、「勉強になるから」って言われて3カ月くらい休学してヤマハの浜松に行って、シンセサイザーの開発をしていたんですね。インペグ屋さん、所謂ミュージシャンを斡旋する会社の方からおふくろのところに電話があって「実はDX7というシンセサイザーを使いたいというプロのミュージシャンの方がいるんだけども、誰も使い方が分からないので辿っていったらここに辿りついて。今度スタジオに来ていただけませんか?」って。

田家:それが「みずいろの雨」?

石川:そうです。

田家:すごい!

石川:そこに大村さんがいて気に入ってくれて、「次からもよろしくね」って。そこからスタジオが始まっていった感じですね。

田家:すごいなあ、1978年以来のお付き合いであります。

Rolling Stone Japan 編集部

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