アルファレコードが求めた精神の自由 村井邦彦と共に振り返る

(インタビュー)

村井邦彦(以下、村井):本当に心に残ってますね。打ち上げの帰りに細野晴臣と雪村いづみさんがエレベーターで一緒だったらしいんです。後でマネージャーから聞いたんですけど、細野が「雪村さんは本当に素晴らしい、死ぬまで歌い続けてください」と言っていたらしいですよ。

田家:1974年に『スーパー・ジェネレイション』というアルバムがリリースされましたが、あのアルバムは村井さんが作りたいと仰ったんですよね。

村井:僕が発案しました。それはどういう意味かというと、戦前から活躍されてきた作曲家と、戦後間もなく大スターになった雪村いづみさん、その後に出てきた村井という作曲家と、その10年くらい後に出てきた細野晴臣。世代が違う人たちが日本のポピュラー・ミュージックの歴史を作っているわけですね。そういう4人が合体して何か作ろうというのがこの企画だったんです。

田家:服部良一さんに対してはいつ頃から畏敬の念を感じていらっしゃいました?

村井:子供の頃からブギウギを聞いていましたしね。僕の音楽のバックグラウンドはやっぱりジャズですから、服部さんもジャズですよね。アレンジをした服部克久さんも半分はクラシック、もう半分はジャズです。雪村さんはその時代の方ですし、細野晴臣はロックもよく知っているけど古い音楽やジャズもよく知っているんですよ。だからこの組み合わせはとても面白かったですね。

田家:1945年の戦争が終わった年に生まれになっているというのは、何か特別に感じることがありましたか?

村井:ありますね。戦争が終わって日本はまだ独立国じゃなくて、1952年に独立したという時期ですからね。今回、小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』を書こうとしている理由は、その頃のことがあまり語られていないというのがあるんですよ。もう一回穿り返して、何があったのかということを書こうと思って。それと、昔から日本の音楽ファンというのは、邦楽を聞いたりやる人じゃない限り、20世紀初頭から欧米の音楽やクラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴをずっと聞いてきたわけですよね。それが戦争のちょっと前くらいから、敵性音楽としてジャズとかが聴けなくなった時期があった。それが今度は突然聴いてもよくなって、ジャズブームになったりした。その繋がりのところをよく説明してくれる本が少ないんですよ。でも、話してくれる方はどんどん亡くなっているし、その辺もどんどん掘り下げてみたいなと思っているんですけどね。

Rolling Stone Japan 編集部

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