アルファレコードが求めた精神の自由 村井邦彦と共に振り返る

(スタジオ)

田家:村井さんがおっしゃっていた小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』の話は今週も出てきますが、webサイト「リアルサウンド」で始まった、キャンティを始めたオーナー、日本の新しい文化を世界に広めた、世界の文化を日本に紹介した川添浩史さんの物語なんです。アルバム『スーパー・ジェネレイション』は1974年に発売されて、雪村いづみ、服部良一を歌うというサブタイトルもついていました。演奏はティン・パン・アレイに変わる前のキャラメル・ママです。

服部さんがなぜJ-POPの父と言われるのか? 今村井さんも仰っていましたが、戦前から西洋音楽、ジャズとかカントリー、ブルースをやっていたミュージシャンはいたわけです。日本の場合はやっぱりジャズがメインです。そういう人たちが、戦争で敵性音楽と扱われたことで、日本でジャズがやれなくなった。それで上海に行ってジャズをやる人がいたりして、服部良一さんもその中の一人だった。『上海バンスキング』というミュージカルはそういうジャズマンを描いたものですね。服部さんは戦前から作曲はしていたわけですが、戦時中に作曲家が皆軍歌に駆り出された時に、彼は軍歌を書くのを拒否していた。「そんな音楽はやりたくない」ということで上海に行ったりしていた。戦後に先程の「東京ブギウギ」のような8ビートのポップスを日本語で始めた。そういう意味でもJ-POPの父と言われているんですね。村井さんは1945年生まれですから、彼が戦前のこと、それらが戦後にどう伝わったか知りたいと思うのは、私も全く同感です。

先程の話の続きと先週の話のおさらいになりますが、去年の末から村井さんは小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』をお書きになっています。レストラン・キャンティの創設者・川添浩史さんの物語。アルファミュージックは1969年にパリで設立されたんですね。なぜパリかと言うと、元タイガースの加橋かつみさんの初ソロ作品のレコーディングがパリで行われた。プロデューサーの川添象郎さん(川添浩史さんの息子)と村井邦彦さんは幼なじみのような関係で、川添象郎さんが村井さんにパリに来ないかと誘って、そこで色々な話が起きてきて音楽出版社を作ることになりました。アルファミュージックは音楽出版社でありながら、自分たちのスタジオを持っていたんですが、個人が作った音楽出版社がスタジオを持っているということ自体が、当時は異例の出来事でした。そのアルファスタジオの第一号レコーディングが作家契約第一号でもある荒井由実さんの「ひこうき雲」でした。村井さんにはスタジオの話も訊いております。吉田美奈子さんもそのスタジオでレコーディングをしていたんですが、吉田美奈子さんデビューアルバム『扉の冬』は細野晴臣さんのプロデュースでした。村井さんはアルファミュージックになってからは、アルファレコードとしては細野さんとプロデュース契約もしています。お聞きいただく曲は吉田美奈子さん「朝は君に」、1976年のアルバム『FLAPPER』の曲です。

Rolling Stone Japan 編集部

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