アルファレコードが求めた精神の自由 村井邦彦と共に振り返る

村井邦彦


(スタジオ)

田家:この曲はアルバム『FLAPPER』に収録されていたのですが、このアルバムはレコード会社がRCAで、原盤制作はアルファミュージックでした。アルバムプロデューサーが村井さんです。先週のおさらいですが、アルファミュージックのモットーは二つありました。作家の自由な発想で音楽を作る、そしてもう一つは国際的な音楽ビジネスをやる。作家の自由な発想で音楽を作るという中には、ミュージシャンの自由な発想という考え方もあった。それがスタジオを拠点にした音楽作りになっていったんですね。

後者の国際的な音楽ビジネスというのを象徴していたのが、A&Mレーベル。例えばバート・バカラックとかセルジオ・メンデス、カーペンターズ、ポリスが所属していました。村井さんはご自身でアルファの歴史を、第1期黄金時代が1977年まで、第二期が1978年からとお書きになっているんです。この1978年はA&Mの日本での権利をアルファミュージックが獲得した時でした。そこからまた違うステージに入ったということなんでしょうね。A&Mの権利を獲得したときのことも伺っております。お聞きいただくのは、ハイ・ファイ・セットの「海辺の避暑地に」のスタジオ版です。

(インタビュー)

村井:今まで国内のアーティストだけやっていたんですけど、A&Mと契約することになってポリスだとか色々な人をやりだすわけです。そういえばA&Mに於けるトミー・リピューマってアルファに於ける細野と似てるんですよ。A&Mはジェリー・モスとハーブ・アルパートが主になってやっているけれども、必ず伝統的に外部プロデューサーを入れてる。第一弾はルー・アドラー。これはオウドレーベルというのを作って、そこでキャロル・キングが大ブレイクするんです。その後に、A&Mはトミー・リピューマを使って彼のレーベルを始めるんですよ。だからアルファに於ける細野の¥ENレーベルと似てるんです。

田家:今日はハイ・ファイ・セットの「海辺の避暑地に」を流そうと思っているんですが、これはA&Mのスタジオでレコーディングされたんですよね。

村井:この曲はフランスの曲で、バークレー時代から僕が毎年フランスに行って良い曲を選んで買ってくる中の一曲だったんです。この録音セッティングは僕がして、有賀が現場をやってくれて。今考えると豪華なミュージシャンが入っているんですよ。リー・リトナーがギターを弾いてソロを録ってるんですけど、山本潤子ちゃんの歌も美しいし、アルファの名作の中でも僕の中でずっと残っている録音です。

田家:赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、サーカスというコーラス重視の音楽スタイルもアルファの柱の一つに思えました。

村井:うーん、自分がいいと思えるものを作りたかったんですよね。

田家:1978年のA&Mレコードとの契約というのは、色々な既製のメーカーとの争奪戦になったと。

村井:そうなんですけど、僕らの方が友達なので有利なんですよ。向こうも友達だからやるっていうわけじゃないけど、経済的な条件が他と一緒なら気心の知れた人と仕事がしたいということだったんじゃないかなと思いますけどね。



(スタジオ)

田家:ハイ・ファイ・セットの1977年のアルバム『THE DIARY』の中から「海辺の避暑地に」。レコーディングはA&Mのスタジオで行われて、ギターにはリー・リトナーが参加してプロデューサーが村井さん。今お話したような関係があってA&Mの権利を獲得した。個人がこういう大手レーベルの権利を獲得するのは、当時、直接洋楽に関わってなかった僕らにも大きな事件として伝わって来ました。

Rolling Stone Japan 編集部

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