海外フェス出演常連のアーティストがひも解く“表現者”であることのマインドと生き方

CD HATA:今回、Independent Tokyoでもオリジナル曲をKANDAさんと作ったKeigo Tanakaくんが、「pink moon」のマスタリング協力してくれたんだよね。

SAORI KANDA : そうそう! KeigoくんはMVの舞台となっている与論島で一緒に月の光を浴びて月酔祭を作った仲間で。Keigoくんがフィールドレコーディングしてくれた与論島の天国みたいに美しい海の波音もMVにミックスしたい! そんな私のアイデアもHATAさんは全部面白がって受け止めてくれて。これまで経験から、お互いのイメージを交わし合う感覚がだいぶ育まれていて、とてもやり易くひたすら楽しかった!

CD HATA : 完全に遠隔作業だったもんな〜!

SAORI KANDA : 感覚を分かち合うための詩や写真などの素材をHATAさんにパスして、それを感じたHATAさんがトラックを書き下ろしてくれて、それに自分のポエトリーと唄を乗せて宅録して、踊り歌い描く出演&映像監督&編集までやりきったMVだったから思い入れかなり強い作品。絵描きがMVを出す!? と驚く反応もあれば、より純度高く伝わった! という反響もあり面白かった! ジャンルの境界を軽やかに超えたアクションとして、かなりやりがいありました(笑)。



SAORI KANDA : それこそ色々な事をやってきたHATAさんは、境界を超えまくってますね(笑)。

CD HATA:かもね(笑)。ただ、まずそもそも境界って意味で考えると、色々な所にあって、さっき話した、バンドシーンとDJシーンもそうだし、オーガニックなものが好きな人とテクノロジー的なものが好きな人とも、相入れない境界線みたいなものがあるのかもしれないし、それこそ、黒人と白人とかね。おれらが感覚的には解らない根深い事ってあると思うし、派閥とか村社会もあるし、おれ自身はそういうのを関係なくぴょんぴょん行き来して来たんだけど、もしかしたら境界線っていうのも在っていいのかなとも思うんだよね。例えば、伝統的なものが好きな人達と革新的なものが好きな人達にも境界線ってあると思うんだけど、純粋な伝統ってやっぱり純血じゃないと成立しない部分もあると思うし、となるとそれって革新的なものを排除しないと成立しないわけで、そこに境界線を作る必要もあるとも思うんだよね。おれ自身も音楽をやっているわけだけど、同じ音楽でもミュージカルだったり、クラシックのコンサートに頻繁に行くかっていうと、そうではないしね。それも境界線っていえば境界線なのかもしれなくて、ただそこに何かお互いのリスペクト的なものであったり、受け入れあう何かがあるといいんだろうなとは思う。

Rolling Stone Japan 編集部

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