PassCodeが武道館に立つ意味、サウンドプロデューサーと南菜生が語るグループの軌跡

PassCodeサウンドが生まれた背景

―平地さんは自分でバンドもやっていたんですよね。

平地 アイドルを作るちょっと前に、PassCodeが所属している事務所の社長・法橋昂広と、PassCodeのデザインなどをやってる映像制作チームTHINGS.の大山卓也と組んでました。でも、普通のバンドをやるのも面白くないから、僕は作曲の学校でパソコンにも触れるし、「シンセサイザーの音を一緒に流すようなバンドやろうや」って。僕はPerfumeも好きやったんでオートチューンも使うことにして、それが今のPassCodeの音楽につながってるんですよね。

―なるほど。

平地 で、旧PassCodeを始めて1年ぐらい経ったときに、「あかん! センスない!」ってなって。

南 そのバンドでやってた曲のひとつが、今でもPassCodeの曲の中でファンの方から一番人気のある「Club Kids Never Die」なので、それは平地さんが昔からいい曲を作ってたってことなんですよね。あの曲が盛り上がるのって自分たちの力じゃなくて、楽曲のよさなんですよ。この曲をセットリストに入れておけば安心できるし、絶対みんなが楽しんでくれると思えるんです。

平地 あの曲には本当にお世話になってるというか、もはや人生なんですよ。元々あの曲は専門学校時代の課題用に作った曲で、のちにバンドをやることになったときに、「あ、あの曲をやろう!」ってことでバンドでも使うようになって、そのあとPassCodeをやることになったときに「あ、あのバンドのときの曲をやろう!」って。だから、学校に提出した曲が回り回ってPassCodeの曲になって、ずっと僕の人生に寄り添ってくれてるんですよ。

―やちいさんとしては旧PassCodeの曲はどうだったんですか?

南 全然悪くなかったんですよ。オートチューンを使ってる曲もその頃からあったし、今のPassCodeをやる上で必要な過程だったんだろうなって今は思ってます。平地さんはAKBみたいな曲を作る才能がなかったって言いますけど、当時はアイドルの数が多い時代だったし、たまに昔の映像を見て思うのは、単純に自分たちの実力不足なんですよね。歌もダンスもやったことなかったんで、「どれだけいい曲もらっても売れへんやろ」って思うし。だから、今聴いてもいい曲はたくさんあるので、埋もれてしまってたのがもったいない気はずっとしてます。

―形を変えて復活するっていう手もあるんじゃないですか。

南 ファンクラブの会員限定とかで公開したら面白いかもしれないですね。でも、今のPassCodeがそれをやってもあのときの感じって出ないんですよ。もちろん、当時も本気でやってたんですけど、お遊びにしか見えへんっていう(笑)。

―今の自分からすると(笑)。

南 そうそう(笑)。でも、それはそれであの頃のよさやったんやろうなって。今みたいな路線になったときに、それまでファンだった方が自分たちの好みではないからってライブに来なくなってしまったんですけど、それは楽曲が変わったからPassCodeのことを嫌いになったわけではないんですよ。誕生日になると未だに「おめでとう」ってリプライを送ってくれる人もいるし、そういうことも全部含めていい期間だったなって今でも思ってます。

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