PassCodeが武道館に立つ意味、サウンドプロデューサーと南菜生が語るグループの軌跡

今後の方向性を決めたミーティング

―AKB的な曲から作風がガラッと変わるわけですが、今の形になった経緯を教えてください。

平地 旧PassCodeで1年ぐらい活動してたんですけどお客さんが全然増えず、体力だけ消耗するような時間が続いて、当時僕が働いてたミスタードーナツの店内でやちいと会議をして、このままやっていくのか、それともリニューアルするのかということになったんです。でも、当時は大阪で激しい音楽をやってるアイドルはいなかったし、僕らが出させてもらってたイベントも狭いシーンで仲良くさせてもらってた人たちだったので、音楽性を変えることでそういう人たちから嫌われて活動の場がなくなってまうかもしれんっていう不安もあって。だから、「音楽性を変えてみてあかんかったら辞めよう」って話してたんですよ。「1年もやったし、ええ思い出になるんちゃうかって。でも、もしこれがきっかけで見てくれる人が増えたら、そのときは元のスタイルに戻ってもいいなとも思ってて、あくまでも入り口として変わったことをやってみたかったんですね。

南 その1年って観に来てくれるお客さんは多くて10人ぐらいで、自分たちのことを知ってもらうのも大変やったし、ファンの人たちも「自分たちが毎回行かないと」っていう意識が多分あって、お互いがすり減っていくような活動をしていたので、この状態でずっと続けるのは厳しいなと思ってたんです。そういうときに「メンバー増やしてみん?」とか「曲の方向性変えてみん?」みたいな話になったので、「あ、これは辞められへんぞ! タイミングを失った!」と思って(笑)。

―あっはっは!

平地 やちいは進学も考えてたもんね。

南 そうそう。そのときは高校2年生だったから受験があったし。まあ、辞めんでよかったから全然いいんですけど、そのときは「新しいメンバーが入る? 辞められへんぞ? どうする?」っていう思いと、自分も元々バンドサウンドのほうが好きなので、「ちょっと楽しみやな」っていう思いがあって。でも、そのときはPassCodeを仕事にできるとは思ってなかったし、当たり前のようにちゃんと高校卒業して大学に行かなあかんと思ってました。あのときのPassCodeはただ楽しいというか、平地さんの真面目なお遊びに自分も参加してる、みたいな感覚のほうが強くて、売れるとか売れへんとか以前の話やったかもしれない。

平地 でも、あの当時の僕らが思ってた「売れる」って、大阪BIGCAT(850人キャパのライブハウス)でライブすることだったんですよ。

南 そうそうそう(笑)。しかも、ワンマンじゃないですよ? 「BIGCATのステージに立てたら売れてる!」みたいな感覚だったんですよ(笑)。

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