氷室京介の充実期、1990年代後半の作品を振り返る



田家:1997年12月発売、7枚目のアルバム『I・DÉ・A』の一曲目「RE-BORN」です。かっこいいですね! 特にドラム。

臼井:これはあとで出てくると思うんですけど、スティーヴ・スティーヴンスが編曲ですね。

田家:このアルバムは氷室さんが急曲の氷室京介と仰っていた作品で。アルバムから「HEAT」がシングルカットされていますね。この「RE-BORN」はそのシングル盤のカップリングでした。一方で参加したアメリカのミュージシャンからは、なんで「RE-BORN」がA面じゃないんだという反応もあります。

臼井:これは氷室さんともだいぶ話しました。氷室さんはもうロサンゼルスに行かれていたので、彼が思った日本のリスナーのイメージにヒットするには、やっぱり「HEAT」だろうという思いがあったんですよね。

田家:最終的には氷室さんが決めていたんですね。このアルバムはギタリストのスティーヴ・スティーヴンスと出会って作ったアルバムです。その出会いの経緯は、どうご覧になったんですか?

臼井:私は、彼と一緒にやるということでスティーヴ・スティーヴンスを紹介されたもので。選ばれた経緯自体はちゃんと伺っていないんですね。ただ紹介された時はびっくりしました。ビリー・アイドルやマイケル・ジャクソンらと共演してきたすごい人呼んできたな、と。

田家:外国でのレコーディングは、明らかに日本とシフトした感じでしたよね?

臼井:そうですね、私が担当させていただいた1995年から2000年までってMVに時間をかけるというか、映画みたいな良い作品を作っていく。これがいいプロモーションだというイメージがあったんですね。実際、アメリカなんかだとMVがちゃんとしていないとヒットしないイメージがあったので。大勢の人に見てもらう、これが宣伝だというのがこの時代に根付いた感じがします。もう少しいえば、CD全盛期の時代だったので、お金をかけた映画のようなMVを一番最初に手掛けたのが氷室さんじゃないかなと思うんです。

田家:氷室さんがアメリカに移住されたきっかけが、「魂を抱いてくれ」のMVの撮影で現場の若いスタッフが本当に情熱的で。小さな仕事をやってる若い人の情熱に胸を打たれて、俺はこれを忘れているなと思ったのがきっかけだったというのがありましたもんね。続いて、臼井さんが『I・DÉ・A』から選ばれたのはこの曲です。

Rolling Stone Japan 編集部

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