氷室京介の充実期、1990年代後半の作品を振り返る



田家:作詞が松本隆さんですね。これを選ばれたのは?

臼井:私が担当させていただいた時代の曲で一番好きかもしれません。まず、タイトルもそうなんですが、聴いた時にバラードの中に日本人が作るバラードと違うイメージがあって。洋楽のバラードっていう感じがすごくある曲なんですよね。それが一番表に出た曲だなと思っていて。スティーヴ・スティーヴンスと作った影響も大きいと思うのですが、やっとロサンゼルスに行った意味がこのアルバム、この曲に出ているのかなと思っています。

田家:スティーヴ・スティーヴンスは、氷室さんがアマチュアの時代から憧れていたギタリストだというがありますもんね。洋楽といえば、「RE-BORN」について音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の元編集長の東郷かおる子さんが、あの曲って洋楽よねって言っていたのを思い出しますね。

臼井:本人もたぶん、ソロ10年を迎えた自分の自信作ができたっていうイメージもあったんじゃないかなと思います。

田家:氷室さんのこの後のアルバムのインタビューを読み直すと、『Memories Of Blue』と『I・DÉ・A』を超えなくてはいけないんだっていう話が出るようになります。『I・DÉ・A』の後には、スティーヴ・スティーヴンスも参加したツアー「"COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」がありました。

臼井:スタジアムツアーですね、7月15日の横浜アリーナからスタートして、9月の横浜スタジアムで終わるというものでした。そこでもスティーヴ・スティーヴンスがメインになって、レコーディングにも参加しているドラマーのマーク・シューマン。ベースが西山史晃さんで、ギターが本田毅さん、キーボードが大島俊一さんというツアーメンバーでしたが、マーク・シューマンが特に凄かったですね。

田家:マーク・シューマンは、氷室さんが実際にライブを見て探したと。

臼井:マーク・シューマンだけだったかは分からないですが、スティーヴ・スティーヴンスがマーク・シューマンを観に行こうという時に一緒に連れていってもらいまして。サンタ・モニカの近くのライブハウスにマーク・シューマンのバンドが出ているから観に行こうということになって。パワフルなドラマーですごいなと。日本人とは違うパワフルさがあって、即決だった気がします。

田家:アメリカでも当時はメジャーじゃなかったですよね?

臼井:そうです。ただ、スティーヴ・スティーヴンスの紹介もあったし、氷室さんも気に入ったということで。レコーディングにも参加してもらって良いアルバムもできたので、ツアーにも参加しようっていうことですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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