氷室京介の充実期、1990年代後半の作品を振り返る

田家:氷室さんは還暦を迎えられましたね。

臼井:はやいもので。私が担当させていただいたのは氷室さんが34~40歳頃だったので、それから20数年も経ったのかと感じています。

田家:1995年のベストアルバム『SINGLES』を最後にEMIからポリドールへ移籍して、最初のシングルが『魂を抱いてくれ』で、この曲を作った時は34歳です。作詞は松本隆さんですが、この曲で思い出されることはありますか?

臼井:移籍するということを聞いたのは1995年の頭だったんです。日本武道館で、阪神・淡路大震災のチャリティーコンサートに顔を出させていただいたのが最初ですね。

田家:イベントには布袋寅泰さんも出ていらっしゃいましたよね。

臼井:もちろん別々でしたけどね。その時は移籍っていう発表もしていなかったし、ニュースが社内にも流れていなくて。こっそり観に行ってくれって言われて、行った記憶があります。

田家:移籍第一弾をバラード曲にしようと思ったのは、なぜなんでしょう?

臼井:氷室さんからこの曲をシングルにしたいという話があって。私は勢いのある曲で来ると思っていたんですけど、後ろに考えていたのがアルバム『MISSING PIECE』でした。「魂を抱いてくれ」を聴いた時にこれでアルバムを出すとは思えなかったんですね。それで話している最中に、シングルの『STAY』とか『SQUALL』を出してアルバムを出すという流れになりました。もちろんアルバムの完成自体が長く時間がかかったっていうのもあって、最初のシングルは『魂を抱いてくれ』でよかったんじゃないかと結果的に思います。

田家:『魂を抱いてくれ』を出す時には、もうアルバムの構想があった?

臼井:あったんです。でも、私も氷室さんも「魂を抱いてくれ」ですぐアルバムを出すイメージがなかったので。勢いのある曲だったらすぐアルバムを出す考えもあったかもしれませんね。それとアルバム全体の進行も時間がかかって。加えて、活動の場をロサンゼルスに移す最中だったんです。だから、日本レコーディングとロサンゼルスレコーディングの両方もありました。

田家:この「魂を抱いてくれ」は、レコーディングに時間がかかったっていう話もありましたね、歌入れも何回もやったと。

臼井:ただ、曲を聴いた時にこの人のバラードはすごいなと思いましたね。

田家:今日はそんな話をじっくり伺っていこうと思っています。それで、この曲が入った6枚目のアルバム、1996年9月発売の『MISSING PIECE』からタイトル曲「MISSING PIECE」。

Rolling Stone Japan 編集部

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