伊東ゆかりステージデビュー70周年、本人と振り返る1958年から1970年



田家:今日の7曲目、1966年4月発売「花のささやき」。第15回のサンレモ音楽祭の入賞曲ですね。

伊東:ウィルマ・ゴイクが歌っていて。

田家:この曲が流れている間、伊東ゆかりさんが鼻歌で歌われておりまして。

伊東:これ、サビでハモるんですよ。ウィルマ・ゴイクが日本に来たとき一緒に歌って、私がハマらせてもらいました。気持ちよかったです。

田家:で、この曲が1966年、19歳で、この翌年67年2月に20歳になって出たのが「小指の想い出」。「第9回日本レコード大賞」歌唱賞でした。

伊東:歌唱賞はすごく嬉しかったです。

田家:68年1月に出たのが「恋のしずく」で、共にミリオンセラーでした。でも、ご本人は「小指の想い出」を歌いたくなくて芸能界を辞めようと思っていたっていう。

伊東:歌いたくなくてっていうのはずっと思っていたことなんですけど、「小指の想い出」は今までポップスばっかり歌ってたのがいきなり歌謡曲になったので、「これは私が歌う歌ではございません。園まりさんにあげてください」と駄々をこねた。

田家:歌謡曲だからっていうのが大きかった?

伊東:曲調が全く違うので、あの頃はこういう曲調はまりさんが「何も云わないで」とか歌っていたから、これはまりさんにあげてくれって。事務所としては、中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりの三人娘の中で一番私が出遅れていたので、カンツォーネを歌ってみたりもさせてくれたんですけど、まだ名前はあまり知られなくて、いろいろ考えてくれて「小指の想い出」を持ってきてくださったと思うんです。でもその本人から歌いたくないとかって言われて事務所の人もみんな困ってましたよね。あと鈴木淳先生、作詞の有馬三恵子さん、みんなを困らせました。20歳の小娘が大先生に失礼な態度をしたと思います。

田家:「恋のしずく」もそういう感じだった?

伊東:いえ、もう「恋のしずく」は全然。なんの抵抗もなく。ただ平尾先生が持ってきてくださったデモテープは、自分で弾き語りで歌ってるんですけど、あまりにも素敵で、どういうふうに歌ったらいいのかが困りました。あとは安井かずみさんに歌詞の「私」っていうところで、「ゆかりちゃんはまだ「わたし」っていう歳じゃないから「あたし」って言ってちょうだい」って。それが印象に残っています。

田家:「小指の想い出」を歌いたくないと言ったのは、洋楽育ちなんだぞ!っていう一つの表れかもしれませんね。今日は代わりと言ってはなんですが、同じ有馬三恵子さん作詞、鈴木淳さん作曲のこの曲が選ばれました。68年10月発売、「朝のくちづけ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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