伊東ゆかりステージデビュー70周年、本人と振り返る1958年から1970年

ラリパップ(誰かと誰かが) / 伊東ゆかり

田家:伊東ゆかりさんが選ばれた今日の2曲目。1958年7月発売、2枚目のシングルで「ラリパップ(誰かと誰かが) 」。

伊東:これは向こうの歌なんですけど、私ハモるのが好きで。これ、自分の声で多重録音してますね。それがとても面白くて。

田家:多重録音というのは、どういうスタジオの作業だったんですか?

伊東:何度も何度も自分の歌を重ねています。ヘッドフォンが必ず必要で、声を合わせていくわけですよね。あと私はアナログ人間なので、今も自分でカセットテープに吹き込んで、その上にまたハモったのを入れるのが好きです。いたずらしながらやるときもありますね。

田家:その時はお父様はスタジオにいらした?

伊東:「ラリパップ」のときも多分いたと思いますよ。必ず父はレコーディングのスタジオにはいたと思います。

田家:11歳のデビューですが、先輩の美空ひばりさんが12歳、江利チエミさんが15歳、雪村いづみさんは16歳。ゆかりさんと同じ歳の弘田三枝子さんが14歳。一番若かった。

伊東:いや、でもミコちゃんなんかは同じアメリカ軍のキャンプで歌ってましたから、私のライバルでしたから。

田家:この話はまた再来週になるんですけど、11歳でステージ歴5年というのはどういう気持ちだったんでしょう。

伊東:根底があまり歌いたくない方でしたので、その辺は全然何も感じてませんでした。ただこれを歌いなさい、あれを歌いなさい、はい、っていうだけで。美空ひばりさんより若いデビューですねとか考えなかったというか、取材もこの頃あまりなかったですし。

田家:ですよね。そんな小さい子供にこんな下品な歌は歌わせていいのかっていう。

伊東:下品というよりも、こういう仕事をやってるということ自体が下品だと思われてる時代ですよね。この歌下品ですか?

田家:下品ではないですよ。可愛らしいです。

伊東:芸能界っていう大人の世界の中に子供がいるっていうことで、周りの大人たちはこまっしゃくれたと言うか風紀を乱すというか。大人の世界を子供たちに吹き込むんじゃないかと、そういうふうに思われていたみたいですよ。

田家:直接言われたりもされました?

伊東:学校に行っているときなんか言われましたよ。学校とお仕事の両立はどうなんですか?ってよく父は呼び出されていたみたいですよ(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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