伊東ゆかりステージデビュー70周年、本人と振り返る1958年から1970年

歌をおしえて / 伊東ゆかり

田家:伊東ゆかりさんが選ばれた今日の3曲目、1964年1月発売「歌を教えて」。作詞が安井かずみさんで、作曲が宮川泰さん。「パパの日記」から丸4年、16歳、中学2年生。このときは渡辺プロダクションに所属していた。

伊東:私が父と喧嘩ばっかりしてるもんですから(笑)、渡辺プロの社長が心配して、あそこの親子は引き離した方がいいというので、私は渡辺プロの社長さん宅に下宿しました。

田家:渡辺晋さんとお父様はジャズ仲間でいらした?

伊東:そうですね。晋社長もベースを弾いていましたから。そういうことだと思います。そこに中尾ミエさんが先にいたのかな。あとザ・ピーナッツさんもいましたね。

田家:園まりさんは後から入ってこられた?

伊東:園まりさんはずっと自宅から通ってました。下宿してないです。

田家:2代目三人娘。初代が美空ひばりさん、江利チエミさん、雪村いづみさん。

伊東:2代目っていうか3人で組むぞって言われて。ツイストの番組で、ホステスが3人になったんですよね。ホストは藤木孝さんだったんですけど、その番組がバーっと流行ってって言ったら変ですけど、それで「3人で地方でも回らしてみたらいいんじゃない?」っていうことだったんじゃないですか? それで三人娘っていうのであちこち営業っていうんですかね、回りました。ですから、ちょっと学校の方が大変でしたね。この時代は、やっぱツイストなんか踊ると駄目なんですよ。ギターを持っても不良だって言われていましたけど。

田家:僕らは学校で踊ってましたけどね(笑)。

伊東:先生なんかに見つかって怒られませんでした?

田家:すぐ隠れましたもん。

伊東:でしょ? だからテレビで派手に私達がツイストを踊って学校なんか行くと、必ず職員室に呼ばれて、PTA の会長さん、教頭先生、校長先生、担任の先生がずらりと並んだところに1人で座らされて、腰を振って踊るとは何事だ!その短い髪はどうしたんだ?って。あの頃はオカッパかおさげですからね。「あなたの仕事は学生でしょう?」とか言われて。お友達はそんな偏見はなかったんですけど、要するに風紀を乱すっていうことですよね。

田家:この「歌をおしえて」は安井かずみさんが詞なんですが、4曲目も安井さんの詩です。65年6月発売、「おしゃベりな真珠」。

Rolling Stone Japan 編集部

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