高田渡はなぜカメラに惹かれたのか? 高田漣と共に振り返る

漣 / 高田渡

田家:この歌はどう思われたんでしょう。いい言葉だと思いますね、見えるものと見えないもの。

高田:この曲、この詞は実を言うと、基になった高木護さんの詩がありまして。その中のいくつかの部分を父が僕の名前に変えたものなんです。でもこのアルバムを作っている時に、こういう景色を歌いたいと思ったんだろうなと思います。

田家:写真集のタイトル「高田渡の視線の先に」にもありますが、やはり彼は見えないものを記録しようとしたのかなと思いました。

高田:写真集の中でも書きましたが、実はだんだん高田渡の中で写真を撮ることと歌を歌うことの境界線がなくなっていくというか。それこそヨーロッパにいようが日本にいようが同じものを撮ってしまうように、写真を撮ろうが歌を歌おうが、高田渡というキャラクターの方が勝っていくというか。1970年代はそういうプロセスだったんじゃないかなという感じがしますね。

田家:なるほどね。見えるものは人のもので、見えないものが僕らのものというのが、無産者の誇りと言いますか(笑)。最終週では、カバーアルバム『コーヒーブルース』のお話を伺おうと思います。今日はありがとうございました。

高田:ありがとうございました。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」高田渡特集Part1。今年が17回忌、永遠のフォークシンガー高田渡さんの軌跡を辿る1ヶ月。今週は高田漣さんをゲストにお送りしました。今流れているのは、この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

音楽はもちろん時代とともにありますね。ポップミュージックはその時代の“旬”を記録しているわけです。でも、いわゆる時流の音は時間と共に消えていったりします。改めて高田渡さんの音楽を聞いていて、何が一番強烈な印象があるかというと、時流を超えた揺るぎなさですね。絶対に揺るがない自分の何かをずっと歌い続けている、それはもう形ではないんだ。音ではないんだというのがはっきり分かりますね。

今回写真集を見ていて思うのは、そういうことともちょっと違う時の流れなんです。1970年代はどんな時代だったのかがリアルに記録されていますね。生々しくはないですけど、微笑ましくもあり、センチメンタルでもあり、クールでもある。そのままという写真だからこそ残せる一枚一枚。どんな格好で、どんな表情で、どういう街でどういう風に旅をしていたのか。彼は旅に憧れていました。

音楽と旅が一体だった時代でもあります。なかなか旅ができない時代でもありましたから、私もコンサートツアーや歌いながら旅をしている人たちをいいなあという目で見ていたのも確かです。そういう色々なことが、写真集の中で語りかけてくれる気がしました。高田渡さんがどんな風に人と接していたのかということの記録でもありますね。旅をしたい気持ちは、やはり音楽と同じように永遠なんだなと思わせてもらえる写真集でした。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

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