高田渡はなぜカメラに惹かれたのか? 高田漣と共に振り返る

今月は改めて所縁の方を迎えて、彼の軌跡を辿ってみようと思います。永遠の高田渡。今週と最終週のゲストは高田漣さん。いうまでもなく、高田渡さんの御子息。シンガー・ソングライター、マルチ・ミュージシャン、プロデューサー。細野晴臣さんのバンドリーダーとしても知られております。今最も多角的に活動されている40代の1人でしょう。高田渡さんの曲を集めたカバーアルバム『コーヒーブルース』が2015年に出ました。最終週はそのアルバムのご紹介です。今月の前テーマは、そのアルバムがあるからという意味もあります。というわけで、最初のゲストの高田漣さんです。こんばんは。

高田漣(以下、高田):よろしくお願いいたします。

田家:17回忌という数字について、どんな風にお感じになりますか?

高田:皆さんそう仰られるんですけど、あっという間という気がしますね。

田家:なぜこの5週間のトップバッターで漣さんをお呼びしたかというと、17回忌の命日に写真集『高田渡の視線の先に-写真擬-1972-1979-』が発売になりました。厚さ3cmくらいある、400ページ近い1冊がリットーミュージックから出ました。漣さんが解説をお書きになっているんですね。今週はこの写真集を中心に色々なお話を伺えたらと思っております。

2001年に出た渡さんのエッセイ集『バーボン・ストリート・ブルース』の後半の方に、高田渡写真館というページがあって写真がいっぱい並んでいましたね。その中には歌を歌うようになってから写真に興味を持つようになった、と書いてありましたが、ご自分が写真集を作ろうという意識はおありになったんでしょうか?

高田:どうなんでしょうね。写真集にも書いたんですが、僕の母が言うところによると、一時期ある意味で音楽以上に写真にのめり込んだ時期があったようでして。それが1970年代初頭から中頃までにかけてなんですが、写真集に収められた写真がそれなんです。実際、写真展も自分で企画してやったりしていたので、ある程度形にすることに興味があったのは確かだと思いますね。

田家:今日はその写真集の写真の話も織り交ぜながら進めていこうと思います。改めてこの曲をお聴きください、「コーヒーブルース」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE