米国史上唯一の未解決ハイジャック事件、運命を狂わされた客室乗務員の半生【長文ルポ】

ハイジャック事件に遭遇した客室乗務員、ティム・マックロー(Courtesy of Tina Mucklow)



マックローが客室乗務員になった理由

1960年代、客室乗務員は羨望の対象というよりも、飾りのような存在だった。1969年の春にノースウエスト航空にスチュワーデスとして採用された後、マックローは消火の方法や、乗客が心臓発作を起こした場合の対処について訓練を受ける一方で、スリムな体型の維持やメガネの着用禁止などの規定に同意させられていた。さらに彼女は、30歳までに「引退する」旨を記載した契約書にも署名していた。「当時は既婚者の客室乗務員が結婚指輪をつけることが許可されたばかりでした。その少し前までは、客室乗務員は結婚すること自体を禁じられていました」。マックローはそう話す。「当時の航空業界は、客室乗務員は独身であることが望ましいとされるような世界でした」

それでもマックローは、航空業界で働くことを望んだ。ペンシルベニア州バックスで生まれ、電気技師の父と看護婦の母を両親に持つ彼女は、14歳の時に初めて飛行機に乗って以来、航空業界に憧れるようになった。「空を飛ぶ感覚、最後部に座った時に感じるエンジンの振動、離陸する瞬間の興奮に、私は夢中になりました」。彼女はそう話す。「当時はスチュワーデスと呼ばれていた、客室乗務員たちの働く姿を見ているだけで楽しかった。彼女たちは皆優しく、そして魅力的でした」

彼女は母親と同じように看護婦になることも考えたが、空への憧れを捨てることはできなかった。夢を叶えることができたのは恵まれた容姿も一因だったが(彼女は高校3年の時、学校の創立記念日に行われたミスコンで優勝している)、マックローはその世界で自分を磨き続けた。


ハイジャック事件当時のマックローのパスポート(Courtesy of Tina Mucklow)

「忙しかったけれど、仕事は楽しかった」。彼女はそう話す。彼女はミネアポリスに友人とアパートを借りていたが、仕事で2週間近く家を空けることはざらだった。「長時間勤務の後、短い睡眠をとって、起床してすぐ制服に身を包み、時差のある地域に向かって飛ぶという生活でした。最初の5年間は主に国内線に搭乗していましたが、経験を積むにつれて国際線に乗ることが多くなっていきました」

Translated by Masaaki Yoshida

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