哀川翔が還暦前に語るターニングポイント ドラマ『とんぼ』からVシネマ、プロレスまで

―『とんぼ』がヒットしたことで、俳優としての哀川さんの存在がクローズアップされましたよね。

その前に、映画に一本出させてもらったんですけど(1988年『この胸のときめきを』)、やっぱり役者ってあんまりピンとこなくて。それまで自分たちの思った音楽を作って、踊って表現していたので、自分を違うものにはめるというのがむずかしくて。「これは向いてないんだろうなあ」って思ってたんですけど、『とんぼ』はリハーサルがちゃんとあって、素人にとっては良い環境だったんですよね。すごく細かくリハーサルしてくれて、しかも順撮りでやってくれたので。その環境とあとは長渕さんの後押しですよね。すごく細かいことを指摘してくれたりアドバイスをいただいたりとか。それで「ああ、芝居ってこういうことなんだ」ということが、少しわかったというか。それがきっかけになってやり出したというのは、間違いなくありますね。たぶん、それがなかったら役者をやってなかったかもしれない。

―その次に出演された作品が、後の“Vシネマの帝王”の出発点となる作品『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(1990年)ですね。

急に、高橋伴明監督から電話が入って、「ちょっと一度会わないか」ということで、やることになって。『とんぼ』をやった後だったから、自分自身やる気満々でしたね。そこで蓄えたものをここで爆発させたいみたいなものがあって。高橋伴明監督の熱い思いがあって新たに立ち上げる「Vシネマ」というものだったんだけど、全然わからなかったですから。ただ撮り方なんかも映画だし、劇場公開もできるんだけどあえてしない、みたいな。試写会なんかもお客さんを呼んでちゃんとやるんだけど、でもビデオにしかしないという。そういう作品なんで、思いはすごくありましたね。

―そこからますます役者としてキャリアを積んでいかれました。

そうですね。『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』と『続 ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(1991年)って、「Vシネマ大賞」をもらいましたからね。あの辺は、自分自身を映画の道に引き込んでくれた一歩ではありましたね。

―まわりのキャストの方も、宍戸錠さん、峰岸徹さん、安岡力也さん、山田辰夫さん、大杉連さんも出演されていて豪華でしたね。

そうだよね。みんな亡くなっちゃったけどね。すごい大人たちに囲まれて、すごく可愛がられました。当時、「あれを見ると元気が出る」って言われましたよ(笑)。そこで、伴明さんが主題歌を入れてくれたり。ちょうど俺がレコーディングしている時期で、「良いのできたんですよ」って聴かせたら、「じゃあこれ入れちゃえ!」みたいな。

Rolling Stone Japan 編集部

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