横浜銀蝿オリジナルメンバーで完全復活、吉田豪と語る「再会」の舞台裏

左からTAKU(Ba)、嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)(Photo by OGATA 衣装協力:LIUGOO)

横浜銀蝿は、ロックの歴史ではなく社会風俗的な歴史に名を残すことになった特殊なグループである。音楽的にも高く評価されていたキャロルやクールスとは違って、ジャンルとしては『積木くずし』や『なめ猫』側。 しかし、その和製ラモーンズ的な音楽性&ヴィジュアルも、セックス・ピストルズ的な話題性&スキャンダリズムも、世間にかなりの衝撃を与えたのだ。1998年に再結成したものの、Johnny は本業が多忙なため不参加で、嵐は脳梗塞で倒れたため、ギターとドラムにサポートメンバーを加えて活動していた。それがいまオリジナルメンバーで完全復活する。

小学生に愛されるほどの社会現象 「とにかくテレビに出たかった」

ー ついに横浜銀蝿が4人揃いましたね! これを待っていたんですけど、まさか本当に実現するとは。

翔(Vo) 俺たちもそういうふうに思ってる。やっぱりタイミングとかさ......上手く全てがマッチしたって感じかな。

ーJohnnyさんの合流が難しいと思われてたわけですよね?

Johnny(Gt) これまでは巡り合わせがよくなかっただけで。今回、結成40年を前にタイミングが合って、参加できて楽しいです。

ーJohnnyさんがこのモードのヴィジュアルになってるだけで高まりますよ!

Johnny あはは! 髪の毛が立ってるだけで印象も変わりますよね(笑)。

ー最近は「レコード会社の偉い人」として取材とかを受けてたので、ついにこっちに来た!っていう。 この衝撃を伝えるためにも、横浜銀蝿とはなんだったのかしっかり振り返ってみたくて。ボクはリアルタイムだと小学生でしたけど、小学生にあそこまで届いた不良バンドっていなかったと思うんですよ。

そうだよね。

ーガチャガチャにもなってましたからね。「羯徒毘璐薫 ’ 狼琉(かっとびロックンロール)」のステッカーとかが景品で。

えー、知らなかった!

ー明らかにパチモンなんですけど(笑)。

でも、それは衝撃。ちょっと見たかったな。

ーそれくらい子供にも届いてたわけですけど、やってる側としても明らかにロックとは関係ない層にまで届いてる実感はあったんですか?

もちろんありましたね。俺らがデビューしたの は1980年だけど、79年に結成してからデビューするまでの1年間にオリジナル楽曲を作って、デビュー したら自分たちの曲で突き進もうとバンドの中で決めていて。俺とJohnnyは高校からずっとつるん でて、「ロックンロールやろうよ」と言って二人で始めたのがきっかけで。何しろ、俺もJohnnyも目立ちたがり屋だから。オーディションも受けたし、学園祭でもやったし、ちょっとしたバンドを集めたコンサートがあれば参加して、アマチュアの頃からファンの女の子が自然についてるようなバンドをやってきたのね。で、その頃っていうのは、フォークでも(吉田)拓郎さんとかそうだったけど、2分半とかの限られた時間で自分たちの音楽は表現できない、一部だけ切り取るだけのテレビには参加したくないと、出演のオファーがあっても断る人が多かった。

ーフォークの人もロックの人も、歌番組には出ない時代でしたよね。

当時は生放送・生本番が当たり前で、自分たちで演奏してもなんの手立てもできないわけじゃん。そのまんまお茶の間にドーンと流れちゃうわけで。 もちろん、ミキサールームで音は拾ってるけど、バンドとなると音を作るのが難しいじゃない。ドラム やベースの音も歌謡曲をやってた人たちが作ってた時代だから、そこでロックなんかやられてもペラッペラな音になっちゃう。それがきっとイヤだったんだとも思うし。

ー「夜のヒットスタジオ」でもダン池田さんが生バンドで演奏していた時代ですもんね。

そんな感じでみんな出たがらなかったなか、俺たちはまず「夜ヒット」から声がかかり、出演したら物凄い反響があって。そのあと「ツッパリHigh School Rock’nRoll」がいきなりヒットして、すぐに「ザ・ベストテン」にも出たけど、俺らとしては出 たくてしょうがなかったわけ。

ー目立ちたがり屋ですからね(笑)。

テレビに出てから地元に帰ってきて、「お前すげーな!」って言われたい一心という。そのために音楽を始めたようなものだから。

ー「テレビに出たくない」という反発心がそもそもなかった。

全くないですね、そこは全員一致で。

TAKU(Ba) 意味がわからないよね。

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