横浜銀蝿オリジナルメンバーで完全復活、吉田豪と語る「再会」の舞台裏

左からTAKU(Ba)、嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)(Photo by OGATA 衣装協力:LIUGOO)


再結成に導いた恩人との逸話「本当に水橋さんのおかげ」

ー当時のコンサートはどんな感じでしたか?

デビューして1年目は、何しろ地方に行ったらパトカーがついてくる。で、会場の前に暴走族が溜まってた。「チケットはないけど銀蝿に行くぜ」って見に来てる人がいて。会場は満杯なのにその倍くらい人がいた。

ーチケットなくても、とりあえず集まっちゃう(笑)。

ちなみに、デビューコンサートの会場は横浜教育会館ってところで。始まった瞬間にお客さんがみんな前に来ちゃってさ。「こんなコンサート最高だよ!」って俺もJohnnyも超喜んじゃって。それで楽屋に戻ったら、社長に「何やってるんですか!」と大目玉を食らって。

ーせっかく盛り上がったのに。

「ずっと音楽やっていきたいんでしょ? こんなコンサートやって事故が起きたらどうするんだ」って。不良たちがいっぱい集まってたけど、彼らに押されて苦しい顔してた子がいたのに気づいてたのかと。俺らはそれどころじゃないよね。全員ニコニコして前に来るから、やっぱりデビューすると違うなと思ってたくらいで、出鼻を挫かれて。でもやっぱり、最初の頃は椅子を壊したり、ゴミを散らかして帰るヤツとかがいてさ。

ー当時は椅子付きのホールしかないから、ロックのライブはやりづらかったんですよね。

そうそう。(椅子の)上に立ち上がったりするでしょ。そうされるとホールも「横浜銀蝿には貸しません」ってなるのね。そのことを社長に聞かされて。 もう一度ここに出たいんだったら何か手段を考えなきゃいけない。誰一人立たせないでコンサートが できますか、みたいな。それで、「俺たちはまたここに来たいし、お前たちと一緒にやりたいから、最低限のルールを守って音楽を一緒に楽しもう」と客席に伝えて。そこからMCが長くなって、1曲目で総立ちになってたヤツらがずっと椅子に座ったままみ たいな。だけど続けるうちに、アンコールになっても誰一人立たなくなり、座って聴くのが銀蝿のスタイルになった。今はロックの楽しみ方も認知されてるけど、1980年はそうではない時代だったから。

ー手探りだったんですよね。

アメリカ人が裸でウオー! って野外で大盛り上がりしてるビデオを何度も見てきて。動いてるチャック・ベリーを見た時なんかは涙モンでさ。ロックンロールってそういうものだと思ってたのが、いざ自分たちが始めた時に「それはダメだ」と言われて。でも、それはすぐに納得できた。前にわーっと来るヤツは、他にもわーっとできるコンサートがあればそっちに行く。本当に大切なのは、後ろのほうで「横浜銀蝿ってかっこいい」と思ってくれるヤツで、彼らが武道館を満タンにするんだよって。そういう話 を社長にされて、ずっと意識しながらステージをやってたかな。

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ーさっきから社長の話が出てますけど、どんな事務所だったんですか。金銭的にはちゃんともらえてたのか、心配になったりもするんですけど。

お金はもらえてなかったけど......あるとき革ジャンを四着買ってくれたんですよ。そしたら事務所のスタッフから、実は二つあったユタカプロのうち一つを縮小して、それで戻ってきたお金を革ジャン代に充ててプレゼントしてくれたと聞いて。それに俺 たちも感動しちゃって。その時はもう、お金なんてどうでもよかったよね?

Johnny まあね......(苦笑)。

嘘だったかもしれないけど俺は感動して、それだけでがんばれたね 。その後ドーンと売れて 、「これをみんなで分けなさい」みたいなノリでお金とかもらってたから、食えないなんてこともなかったし、印税が入れば「車を買いなさい」とか払ってくれて。 収入面に関しては問題なかったし、むしろ毎日が夢を見てるみたいだった。

ーJohnnyさんが以前「食べれないから音楽を辞めた」みたいな話をしてたじゃないですが。

Johnny それはバンドを辞めて30歳手前の話ですね。それまでは自分の好きなことに家内がついてきてくれたんですけど、子供が生まれて、今度は家族のために生きなきゃと思って。ちゃんと定収入のあるサラリーマンになりました。

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