対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る

田家:氷室さんはポリドールへ移籍して活動して、2002年に再びEMIに戻ってこられて、子安さんもそこからまた責任者として関わることになるわけですね。

子安:そうですね、私もまだ会社にいましたので(笑)。

田家:じゃあ再来週もまたご登場願います。ありがとうございました。

子安:ありがとうございました。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」2020年11月氷室京介還暦特集Part3。ゲストに、当時の東芝EMIディレクターの子安次郎さんをお迎えしました。今流れているのは、後テーマ曲で竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

今週は1992年から1995年、アルバムで言うと『Memories Of Blue』と『SHAKE THE FAKE』の二枚のオリジナルアルバムが中心になりました。私事なんですが、初めて私が氷室さんのインタビューをしたのが、アルバム『NEO FASCIO』の時でした。実は、僕はBOØWYの東京ドームと日本武道館公演を見てたましたが、インタビューはしたことがなかったんです。LAST GIGSの後に、マネージャーの土屋さんから電話がかかってきて「氷室がソロになるので、これからお付き合い願えますか」と言われたんですね。その時に僕は「BOØWYのインタビューもしたことないんですけど、いいんですか?」と言ったら、「BOØWYは同じところで始めた同世代の人たちでチームを組んでいて、田家さんはおじさんだと思ってましたからお声がけしませんでした。これからは違うところに行くので、よろしくお願いいたします」というところから始まりました。そういう意味ではBOØWY体験から入ったわけではないので、むしろ新しく氷室さんを聴くようになったリスナーの方と近いのかなと思っておりました。その中で一番印象的だったのが、『Memories Of Blue』のインタビューだったんですね。それも来年発売になる『KYOSUKE HIMURO since 1988』に収録されております。これだけ時間が経って改めて考える時に、当時の自分はちゃんとわかってなかったなと思うところがたくさんあります。30年間原稿を書いている中でのそうした変化も記録されているかもしれません。これも当時のインタビューで語っていましたが、やっぱり自分のことをずっと探しているのが自分にとっての音楽だと。そういう意味では、どのアルバムも、彼の模索の記録でもあるんだと思いますね。音楽的なことだけではない、人としての葛藤がアルバムに込められているというのが、改めての発見でもあります。

彼は『SHAKE THE FAKE』のリリース後、アメリカに拠点を移します。その話はまた来週。


田家秀樹(左)と子安次郎(右)



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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