対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る



田家:この曲を選ばれた理由は?

子安:このアルバムはとにかく完成度が高くて非の打ち所がなくて。どの曲もいいんですけど、その中でも個人的な好みなんですが、この曲は聴くたびに胸が熱くなるところがあってすごく好きというのが理由ですね。

田家:アルバムにも、この曲のタイトルにも"BLUE"というのがありますが、当時の氷室さんの一つのイメージの色なんでしょうか?

子安:目に見える”青”という色が氷室さんのカラーかは分からないですけど、ブルーという言葉が持っている世界観が氷室さんらしいなと思いますね。このアルバムのジャケットも綺麗な青が基調になっていて、アルバムとして色々な色の完成度、ビジュアル面も含めて半端じゃないなと思いますね。

田家:このアルバム10曲それぞれのタイプが違っていて、曲ごとの意味や表現したかったことが見えるアルバムだなと思いました。『Memories Of Blue』は青春の記憶という意味もあるんでしょうし、タイトル曲の中では、ガレージでオイル塗れだったあの頃、とも歌っておりました。この時のインタビューが一番印象深くて、暴走族だった頃の話とか訊いているんですよと。なぜ暴走族からバンドをやるようになったのかも語ってくれたインタビューでもありました。アルバムの中に「GET READY "TONIGHT" TEDDY BOY」という曲がありますが、BOØWY時代の曲「16」の原題が「TEDDY BOY MEMORIES」だったということも聞いてますね。いろんな意味で、このアルバムで氷室さんは答えを出したんでしょうね。

子安:ですね。自分がリスナーだった頃から音楽経験を積み重ねて、バンドも経験し、ソロになって。氷室京介というアーティストの人生を含めて、一つの形になったのかなと思いますね。

田家:インタビューの中で、BOØWYというワードが禁句だった時期がありました。子安さんが氷室さんと話す時に、BOØWYに触れないように神経を使う、みたいなことはあったんでしょうか?

子安:BOØWYというものを出す=後ろを振り向くという感じもありましたからね。僕の中では、氷室さんの前に向かって進んでゆくスピードにどうやって付いていくか? というのがテーマでもあり、すべての意識が必然的に前の方に向かっていきましたから、BOØWYという単語は自分の中からも出てこない感じがありました。

田家:BOØWYを持ち出す意味がなかった。なるほどね。氷室さん=BOØWYと結び付けたがったのは、周りだったんでしょうね。

子安:かもしれないですね。

田家:改めて当時のインタビューを読み直していて、「過激な言い方をすると、この曲で終わるためのアルバムだった」と話していた、あまりラジオでかけたことがないのではないかと思って、この曲をお届けします。『Memories Of Blue』最後の曲、「WILL」。

Rolling Stone Japan 編集部

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