対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る



田家:ゴスペルのような曲ですね。この曲順は、子安さんからも案を出されたりしました?

子安:そうですね。何人かで案を出して、最終的には本人が決めます。

田家:この曲で終わっている意味もありそうですね。

子安:改めて聴き直してみると、ソロとしてのスタートにも繋がるような感じがありますね。

田家:ずっと探し回っているような感じがありますね。先週流した「CALLING」もそういう曲でしょうけど。氷室さんには、メディアの情報とか、カラオケで歌っているだけでは見えてこない面がたくさんあるという例の一つかと思いました。お聴きいただいたのは、1993年のアルバム『Memories Of Blue』最後の曲、「WILL」でした。



田家:1994年8月発売10枚目のシングル、5作目の一位獲得曲になりました。この曲で思い出すことも色々ありそうですね。

子安:アルバム『Memories Of Blue』での大成功があって、その次にどこに行こうかという状況の中で、色々な試行錯誤が始まった時期なんだろうなと思います。そういう意味では、新しい環境や何かが変わっていく必要性があったんじゃないかなと。僕がレコーディングスタジオに入った時間が一番短い作品ですね。色々なミュージシャンやアレンジャーの方もいて、次にどういうチームでどういう音を作っていったらいいのかと、探っていた時期なのかなと思いますね。

田家:それは改めて振り返ってみてそう思われますか? その最中には、そういう試行錯誤しているなというのは感じました?

子安:うーん、それまでも色々と試行錯誤を続けてきていた流れがありましたからね。常に自分で自分を追い詰めたりし続けてきた方なので、僕はこの時期にレコーディングスタジオにあまり入らなくなったんですけど、そういうものは常に感じていましたね。

田家:この曲が入っているアルバム『SHAKE THE FAKE』のインタビューを改めて見直してみましたら、それまでは対BOØWYだったのが、対自分になってしまったと。

子安:『Memories Of Blue』でバンドを超えた、音楽的にもセールスでも色々な面で超えた。そういう意味でも自分に対峙する場面がより強くなったと思うんですね。

田家:自分が作ったものに負けちゃいけない、こんなに考えたことはなかったと話していて。歌入れの最中には、自律神経失調症になったとも明かしてました。

子安:自律神経失調症だという報告は僕の元には来なかったんですけど、本人がすごく大変な状況にあるというのは感じていましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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