対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る

田家:「VIRGIN BEAT」もホッピー神山さんがアレンジしていましたが、これも初めてでしょう。アレンジにも佐橋佳幸さんなど色々な人たちが入ってきて、関わったミュージシャンもこのアルバムが一番多いんですよね。キーボード4人、プログラマー2人、ギター3人、ベース4人、ドラム4人、エンジニアも6人関わっている。

子安:色々な方とどうコミュニケーションしながら作品を生み出していくのか? まさに試行錯誤だったと思いますね。

田家:子安さんがスタジオに入らなくなったのは理由があったんですか?

子安:役割として、その現場にいて何をすればいいのかというのが、自分自身でも見えなかったんです。生まれてきた作品のプロジェクト全体をどう動かしていくのかという方向に自分の役割を置いていた感じがありますね。

田家:なるほど。『Memories Of Blue』の時は、自分の役割を果たしたという達成感はありましたか。

子安:ある意味ではあったと思います。

田家:その中で、子安さんが『SHAKE THE FAKE』から選んだのは最後の曲でした。



田家:この曲はファンの中でも支持の高い名曲でありますね。

子安:結果として考えると、このアルバムで氷室さんはレコード会社を移籍して、私は担当でなくなるという大きな変化があって。言ってしまえば、最後の曲ということで、自分の中でも思い入れが非常に大きいですね。

田家:そうやって関わってきたアーティストが、1995年7月にベストアルバム『SINGLES』を出してポリドールに移籍してしまうわけですよね。離れていかれる時にはどんなことを感じられてましたか。

子安:自分の中ではいつでも戻ってきてくださいね、という気持ちだけは伝え続けました。

田家:『SHAKE THE FAKE』のレコーディングが思うように進められなかったということもあって、環境を変えたいというところに繋がったということはありそうですか。

子安:こればっかりは本人の中のことなので分かりませんが、長いキャリアの中で新しい環境が必要なタイミングだったんじゃないかなっていう感じはしますね。

田家:東芝EMIのアルバム「BOØWY」からちょうど10年ですもんね。

子安:50年分くらいの中身がある10年だったという感じはしますね。さらに自分を高みへと引き上げていって、この先も誰もやったことのない何かをやるだろうという期待する部分はもちろんありました。

Rolling Stone Japan 編集部

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