対BOØWYから対自分へ 1990年代前半の氷室京介を語る

田家:本人はエジプトで作ったと仰ってましたね。

子安:エジプトで作ってケニアに行ってたと思うんです。ホテルでデモテープを作ったから、取りに来てくれって言われて(笑)。今ならデータですぐ送れるけど、当時はそんなことできないですからね。ケニアに来てくれって言われて、当時の私は家を出るときに必ずパスポートを持っていくという生活をしておりまして。会社に着いたそうそう、ケニアに行ってきますという話になって。すぐに旅行代理店の方に、できるだけ早くケニアに行ける便を押さえてくれという話をして。東京から大阪、大阪からロンドン、ロンドンからケニアっていう便を押さえてもらって。でも、大阪からロンドンに行く便がトラブルで来ないんですよ。来ない間に時間ができた時に、ケニアに入国するにはビザが必要だっていう電話がかかってきて。これはやばいなと思いながら、ロンドンの知り合いに連絡を取ってケニアに代わりに行って氷室さんから受け取ってもらいました(笑)。私はロンドンで知り合いからデモテープを受け取って、テレビ局の方に渡せたんですよ。さらに、この曲はニューヨークでレコーディングをしたんです。そしたら、テレビ局の人が、レコーディング中の音を聞きたいと言われて。それは無理だっていうことになったんですけどね。

田家:当時は無理でしょう(笑)。

子安:でも、やったんですよ。ここは非常にアナログな話なんですけど、ニューヨークのホテルでラジカセに録音した音を聞いてもらおうということになったんですけど、大きな音は出せないので布団を被ってラジカセを鳴らして、それを電話の受話器に当てて、その音を日本の東芝EMIの会議室で電話で受け取ってもらって。東芝EMIには、海外のアーティストの電話を録音する機械があったんですよ。それで聴いてもらえたと。本当に思い入れがある曲ですね(笑)。

田家:まさかそういう話が出てくるとは思わなかったですね。

子安:さらに、この曲を聴いたテレビ局の方が、この歌の途中の「We should be urban dancin’」のところで間があって、そこにギターフレーズが入るんですけど、このギターフレーズのところに歌を乗せてもらえませんかという注文が来たんですね。この間がカッコいいのに! と思ったんですけど、氷室京介さんに伝えたら無理だっていうことになって(笑)。

田家:そういう話になりましたか(笑)。アルバムの話は次の曲の後にお訊きしようと思います。『masterpiece #12』から子安さんがお選びになったのは、1990年5月発売のシングル『JEALOUSYを眠らせて』の未発表バージョンです。

Rolling Stone Japan 編集部

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