トランプのコロナ定例会見から考える放送ジャーナリズム「ライブ感より大切なもの」

報道の意味

ー「ひとつのネットワークが単独で断行するのは極めて勇気のいる決断でしょう。大多数の視聴者は、自分の見たいものを見るためにチャンネルを変えるだけですから」とおっしゃいましたね。ではどうすれば良いのでしょう? 視聴者のためにならないものなら放送しないとネットワークが同意するでしょうか? 業界に40年いらっしゃった中で、今までにこのようなことはありましたか?

ありませんね。それに正直、あまり望ましくないと思います。何を放送すべきで、何を放送しないべきか、あるいは視聴者に何を見せるべきかという判断を、ネットワークが示し合わせて決めるのはどうかと思います。こうした判断は各地のジャーナリストが主導して、それぞれの報道室が個々に決めるのが望ましいと思います。主要ネットワークが示し合わせて報道上の決断を下せ、と言っているわけではありません。

私が言いたいのは、つい先日ウォール・ストリート・ジャーナル紙が社説でしたように、報道室の人々に自分たちの仕事の意義を再確認して欲しいのです。一部の報道ネットワークでも、大勢のキャスターたちが上層部に「なぜこれを取り上げるのか?」と問いかけています。非常に健全な対話だと思います。そうすることで、放送内容もずっと健全になっていくと思います。

ライブ感は大事ですが、情報の正確性の方がずっと大事です。かつてはスピードと正確性の間で葛藤がありました――今は正確性が非常に重要です。一旦手を止めて、真実を報道するよう報道室が自分たちに言い聞かせることができれば、視聴者にも奉仕できるでしょう。

扱うなと言っているのではありません。私自身、東ヨーロッパの共産主義国を取材したことがあります。壇上から真実はひとつも語られませんでしたが、だからといって、取材しなかったわけではありません。取材には行きましたが、そのまま好きなように主張だけさせるようなことはしませんでした。政治的発言の伝達役にはなり下がらなかった。それは我々の使命ではありません。先ほどの話に戻りますが、過去の政権下ではホワイトハウスの会見室でこのようなジレンマを感じることはありませんでした。ええ、情報操作はありましたよ。答えをはぐらかされることもありました。でも、今のような状況はありませんでした。

ーもしニュース番組の神になったとして、真実を伝えるという報道使命を歪ませている問題に明日から取りかかるとしたら、何をしますか? 「真実を語ることを生放送の大前提にしよう」というのは、出発点としては良いと思いますが、出発点でしかありません。具体的にどんなことをしますか?

今の状況を解決する万能薬はありませんね。というのも、もし私がニュースの神だったら、とおっしゃいましたが、我々が暮らす国にはニュースの神などいないのです。山のように媒体がありますし、ひとつの媒体がやらないと決めたことも、別の媒体が喜んで飛びついてやるでしょう。

ただ、我々は一歩引いて、自分たちの使命を思い出すべきだと思います。そもそもこの業界に踏み入れたのはなぜか。この業界に入ったのは事実を暴き出し、責任を追及し、権威に真実を突きつけるため。そして最終的には世の中を変え、大衆に奉仕するためです。そうしたフィルターを生放送にも適用するのです。カメラを向けた先で、視聴者のためにならないことが行われていたら、恐らくその映像は生放送にされるべきではないのです。






Translated by Akiko Kato

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