トランプのコロナ定例会見から考える放送ジャーナリズム「ライブ感より大切なもの」

常識が通用しないトランプ大統領

ートランプ大統領の大統領選挙活動をどう取り上げるかという判断にどこまで関わっていましたか? どんな議論が繰り広げられたのか、あらゆる意味で常識破りの候補者をどう取り上げたのか、多くの人が知りたがっていると思います。

かなり関わっていましたよ。様々な議論の場にもいました。もちろん私が決定権を握っていたわけではありませんし、トランプ陣営の取り上げ方に関して影響力があったわけでもありません。他にも大勢の人間が関わっていました。

ひとつ、私たちが勘違いしていたがあります。それは、ドナルド・トランプ氏が嘘をついていると言っていいものか?というものでした。トランプ陣営の選挙活動が進むに連れ、今ならはっきり嘘だと言い切れるようなことが次から次へと出て来たとき、こうした議論を延々と繰り返したものです。「口を滑らせたと言うべきか? 言葉足らず? 不正確?」。 嘘という言葉は、目の前の状況が悪だという印象を与えているように思えました。根拠もありません。それでは決めつけているだけです。視聴者の前に出して、視聴者に決めてもらうべきだと判断しました。今改めて考えると、「奇行」呼ぶのが一番しっくり来るように思います。

あれらは嘘です。メディアもだんだんわかって来て、それを指摘出来るようになってきています。ですが、一方がしていることをもう一方がしていない、という状態を受け入れることも容易ではありませんでした。偽りのバランス、というような言葉を聞いたことがあるでしょう?  「こっちはこんな嘘をついてこんなことをした。もう一方も同じようなことをしているだろうから、調べて証拠を探さなくては」という風に、公正な記事を書くことです。

そこへ全く違うルールで、というよりルールは一切無視して、挑む候補者と選挙陣営が現れた。我々メディアはその状況が飲み込めず、どう対応して良いかさっぱりわかりませんでした。3年が経過した今でも答えは見つかっていないのではないでしょうか。大統領の発言を生放送していることがその最たる例です。

Translated by Akiko Kato

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