トランプのコロナ定例会見から考える放送ジャーナリズム「ライブ感より大切なもの」

報道番組の相反する2つの性質

ー「生中継」や「緊急速報」という画面表示は今や頻繁に使われています。あなたも「これらはさらに頻繁に使われるようになっただけでなく、ただの目を引く見出しになり下がってしまっている。これは、報道番組におけるジャーナリズムとその価値観が実質的に白旗を揚げたことを意味している」と書かれています。なぜこうした事態になってしまったと思いますか?

報道番組は常にメディアの2つの性質、情報と娯楽に悩まされて来ました。TVには視覚的な側面があります。それにライブ感というのもあります。同じものを録画で見るよりも、生で見る方が本質的に魅力的で、興味もそそられ、より見たいという気持ちになります。結局のところ、ケーブルテレビの報道番組は特に、視聴者の獲得が全てなのです。ライブ感が重要な理由として、今では情報が様々な手段で得られるという点も挙げられます。重要人物とのインタビューを録画し、一度どこかの番組で放送して、6時間後にまた別の番組で流そうと思っても、その頃にはもう意味がない。なぜなら、最初に放送した時点でもうそこら中に広まっているからです。そうでしょう?

インタビューの方が一から取材し、特集を組むよりも制作が楽だというのも事実です。NBCの『Nightly News』や『60 Minutes』の1分間は、クリス・クオモ氏やブライアン・ステルター氏、ニコール・ウォレス氏が誰かにインタビューする1分間よりも、はるかに制作費が嵩みます。だからといって、報道としてインタビューは価値が低いと言っているわけではありません。インタビューにも貴重で価値の高いものもあります。

ですが、ここで真実を語るという私の基準を振り返ってみましょう。30分間の生放送で相手の目的が嘘をつくこと、あるいは質問とは何の関係もない政治的目的を果たすことだとしたら――それは時間の無駄遣いです。

Translated by Akiko Kato

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