極悪非道なレイプ犯に「将来の可能性」はあるのか? 判事の裁定めぐる不条理

数年前に世間を騒がせたスタンフォード大学の水泳選手ブロック・ターナー。判事は、意識不明の若い女性をレイプした事実よりも、彼の「将来の可能性」のほうが重要だと判断した。(Photo by AP/Shutterstock)

1989年、米ニュージャージー州グレンリッジのアメフト部の選手らが、仲間の自宅の地下室で17歳の少女をレイプした。

少女は知的障害者で、IQは64程度だったとのちに伝えられた。少年たちは少女の口と膣に挿入したあと、ワセリンを塗ったビニール袋で箒の柄や野球バットをくるんで、それも挿入した。仲間の一人がもうやめようと言ったが、無視された。少年たちは誰にも口外しないよう少女に念を押し、出て行けと言った。教師がたまたま少年の1人の会話を耳にしたのがきっかけで、ようやく事件は警察に通報された。その少年は別の生徒に、少女を丸めこんでこの先も何度かヤって、次はビデオに録るつもりだ、と豪語していた。

1993年、集団レイプに加担していた3人の「若き性犯罪者」らは最高15年の禁固刑を言い渡された。だが、彼らは罪に問われるべきだ、起訴は当然だ、と考える住民は多くなかった。ジャーナリストのバーナード・レフコウィッツ氏は著書『Our Guys』の中で、白人中流家庭が大多数を占める街の住民らがすぐに少年の擁護に回った経緯を記した。

子供を持つ親の多くは10代の少女が少年たちをそそのかしたのだと責め、チアリーダーは卒業式に黄色いリボンをつけて被告の少年たちを支持した。裁判所を後にするグレンリッジの選手らの当時の写真には、いかにも甘やかされた白人中流家庭の少年たちが写っている。住民の間では、性犯罪者として名前を公表された少年たちは何もかも失ってしまう、害のないおふざけに対して高い代償を払うのはおかしい、という意見が圧倒的大多数を占めていた。だって彼らは「私たちの仲間(our guy)」なのよ。愛くるしい女子高生たちは彼らをこう呼び、手料理をもって少年たちの自宅に押しかけた。

今日、グレンリッジのレイプ事件はWikipediaの記録に眠ったままだ。引き合いに出されることがあったとしても、ほとんどの場合は、社会がレイプ被害者の女性に対する待遇という点でどれほど進化したかを表すためだ。いわば、バックミラー越しに後ろを振り返って、ずいぶん遠くまで来たもんだ、あれからずいぶん成長したな、と労をねぎらう類のものだ。だが、グレンリッジのレイプ事件を掘り起こす真の理由は、実のところそれほど遠くまで来たわけではない、ということだ。

先月、グレンリッジから南へ1時間ほどの場所にあるニュージャージー州モンマス郡で、性的暴行罪に問われている16歳の少年を成人として起訴するという検察側の申し立てをジェームズ・トロイアーノ判事が却下した。少年は、酩酊した16歳の少女とセックスしている様子を動画に収めていた。少女はまっすぐ立つこともできず、ろれつが回らなくなっていて、カメラが回り始めるや嘔吐した。翌朝目が覚めると全身あざだらけだった。後日、少年は友人たちに動画を送信。「初体験がレイプだった場合」という文章が付けられていた。

Translated by Akiko Kato

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