ウィーザー『ブルー・アルバム』知られざる10の真実

写真左からリヴァース・クオモ、ブライン・ベル。1994年撮影。(Photo by Karjean Levine/Getty Images)



5. 「マイ・ネーム・イズ・ジョナス」は、クオモの弟リーヴスが交通事故に遭った際に経験した保険の問題にインスパイアされている

クオモは過去に、彼の運命に対する悲観的思考を見事に表現した「マイ・ネーム・イズ・ジョナス」は、ウィーザーのデビューアルバムの冒頭を飾るに相応しい曲だと語っている。「あの曲は『期待』が外れるものだってことを表してる」彼はLuerssenにそう語っている。「僕の弟はそれを身をもって知った」ウィルソンと共に50曲の完成を目指したセッションで原型が生まれたという「マイ・ネーム・イズ・ジョナス」(イントロの指弾きフレーズを担当したジェイソン・クロッパーがクレジットされている唯一の曲でもある)は、1992年9月にオハイオのオーバリン・カレッジに向かう途中で自動車事故に遭い、深刻な怪我を負ったクオモの弟リーヴスについての曲だ。治療費の負担を要求した彼に対し、保険会社は友人の車に同乗していたそのケースは保険の適用外だと主張した。リーヴス(またの名をJames Kitts)は保険会社を相手に訴訟を起こしたが、1996年後半に控訴棄却されて敗訴している。

「マイ・ネーム・イズ・ジョナス」の歌詞のヒントになったのは、弟の保険の問題だけではない。同曲はロイス・ローリーが1993年に発表した12歳の少年ジョナスを主役とするヤングアダルトフィクション、『ギヴァー:記憶を注ぐ者』からも影響を受けているという。曲のタイトルは、そりを駆使する若き主人公の発言を引用している。また2番目のヴァースの冒頭に登場する「Wepeel」とは、クオモが子供の頃に遊んだそりに付けていた名前だという。



6. 「バディ・ホリー」の原題は「ジンジャー・ロジャース」であり、クオモは「安っぽ過ぎる」という理由で収録を見送ろうとしていた

「バディ・ホリー」の歌詞は、サンタモニカ・コミュニティ・カレッジに通っていたクオモの友人Kyung Heのレトロなヘアスタイルを、バンドのメンバーたちが馬鹿にしたことが元になっている。「僕の『仲間たち』は僕の『女友達』をコケにしてた」デモ集『Alone』のライナーノーツでクオモはそう記している。「滅多なことではメンバー間の揉め事は歌詞にしないことにしてる。その曲を演奏する時に気まずい空気になりかねないからだ。でもこの曲に限っては、特に問題ないと思った」曲の原型は、クオモが友人のKORGのキーボードをいじっていた時に生まれた。「間の抜けた」ヴィンテージなシンセのサウンドにヒントを得て、彼は捻りの効いたニューウェーヴの曲を作ろうとしていた。「コーラスの部分は、キャンパス内の芝生の上を歩いていた時に思いついた。歩調とメロディがマッチしたんだ」彼はそう振り返る。「でも歌詞には苦戦していて、ヒントになる題材を見つけようと悪戦苦闘してた。初期のバージョンには『君はジンジャー・ロジャースみたいだ 僕はフレッド・アステアのマネをする」っていうフレーズがあった」



テキサスを代表するロッカーの名前を引用しても、クオモはまだその出来に納得していなかった。デビューアルバムの制作に着手した段階でも、彼は「バディ・ホリー」がノベルティチューンとみなされるのではないかと懸念していた。しかしリック・オケイセックは、同曲をアルバムに収録するべきだと強く主張した。「『バディ・ホリー』の収録を渋っていた彼を、僕はこう説得した。『リヴァース、よく考えたほうがいい。まずは録ってみるんだ。出来が気に入らなければボツにすればいい。やってみる価値はあると思う。あんなに素晴らしい曲なんだから』」オケイセックはLuerssenにそう語っている。その後数日間にわたって、彼は同曲をプッシュし続けた。「朝スタジオにやってくると、『WE WANT BUDDY HOLLY』と書いた紙が置いてあった」シャープは2008年のBlender誌のインタビューでそう語っている。

「バディ・ホリー」は『ブルー・アルバム』からの2ndシングルに決定し、ミュージックビデオも制作されたが、それは必要に駆られたためだった。ブルースクリーンと固定カメラ、そして数多くの犬だけで強烈なインパクトを残した「アンダン〜ザ・スウェター・ソング」のミュージックビデオによって、バンドから絶大な信頼を得ていた監督のスパイク・ジョーンズは、同曲のノスタルジックな面を強調することにした。「『ハッピーデイズ』のセットを使うっていうアイディアは、かなり早い段階からあった。エディターのEric Zumbrunnenと一緒に、僕は何百ものエピソードを見返した」彼は『Rivers’ Edge』でそう語っている。「Fonzieが踊るシーンを見つけた時は、金の鉱脈を探り当てた気分だった」メンバーの大半はそのアイディアを気に入ったが、リヴァースはギミック的過ぎるとして難色を示した。「最初は好きになれなかった。でも心のどこかでは、その素晴らしいアイディアを実現させるべきだってわかってた」彼は1997年にAlternative Press誌にそう語っている。

ジョーンズは『Arnolds』(10代の若者の間で人気を博した、50年代〜70年代へのオマージュが多数登場するシットコム)のセットを再現しただけでなく、Al Molinaroを『ハッピーデイズ』での名物店長役で出演させた。1994年9月29日、直後にカーディガンを着ることになるウィーザーのメンバーたちは、撮影現場を目にして衝撃を受けた。「現場に到着した瞬間、これは素晴らしいものになるって確信した」ギタリストのブライアン・ベルはAlternative Press誌にそう語っている。「セットを目の当たりにして、衝撃で倒れそうになったくらいだ。エキストラはみんな既に衣装に着替えてた。一日中夢を見ているような気分だったよ」



2日間に渡った撮影の後、ジョーンズはその映像を『ハッピーデイズ』のアーカイブ映像(主に第53話『They Call It Potsie Love』)と継ぎ合わせ始めた。そのプロセスは困難を極めたが、それでもまだ『ハッピーデイズ』のキャスト全員から類似作を作ることを許可させるよりは容易だと思われた。「Potsieは作品への関与を一切拒否してた」シャープはBlender誌にそう語っている。デヴィッド・ゲフィンは個人的にPotsieを演じたアンソン・ウィリアムズに手紙を書いたが、状況が好転する決め手になったのはHenry “Fonzie” Winklerがその案を許可したことだった。「(キャスト全員)最初は懐疑的だったけど、『Fonzがオーケーなら自分も』って言ってくれたんだ」シャープはMagnet誌にそう語っている。Winklerは後に、あのビデオのおかげで子供たちから「お父さんってクール」と言ってもらえたと話している。「喜んで協力を申し出たよ」彼はBlender誌にそう語っている。「Fonzならきっとウィーザーのレコードを持ってただろうからね」(同ビデオによって注目を集めた70年代のテレビスターは彼だけではない。「メアリー・タイラー・ムーアは、額縁に入ったサイン入りの写真を僕ら全員に送ってくれたんだ!」シャープはそう明かしている)

1995年に最も人気を集めたビデオクリップのひとつとなった同作は、MTV Video Music AwardsとBillboard Music Video Awardsでそれぞれ賞を受賞した。しかしより大きな影響を生んだのは、MicrosoftがWindows 95に同梱した「お楽しみ」CD-ROMにそのミュージックビデオが収録されたことだった。誰一人としてコンピュターを持っていなかったウィーザーのメンバーたちは、当初は彼らの許可なく事が進められたことに憤慨していた。「僕らに何の相談も無かったことに、最初は腹が立った。でも実際には、あれは僕らにとってものすごく幸運だったんだ」ウィルソンはそう話している。「現在の状況でいうとしたら、YouTubeで見られる唯一の映像に自分たちの作品が選ばれるようなものだよ」メンバーたちはその影響力の大きさを徐々に実感していった。「大勢の人に言われたよ。『Windows 95と一緒に配布されるのがどれだけ凄いことか、君は分かってない』ってね」ベルはMagnet誌にそう語っている。「僕はコンピューターを持ってなかったから、そのとてつもない影響力を実感しにくかったんだ」

そのビデオの爆発的人気に最後まで首を傾げていたのは、やはりリヴァース・クオモだった。「僕と僕らの曲があんな風に脚光を浴びていることが、不思議でならないよ」彼は1997年にそう語っている。「あのビデオによって、多くの人が僕らのことを知ったのは確かだ。けど僕らの映像作品の中でも、あれは一番好きになれない。自分が出ていなくて、誰か他の人の曲だったら、きっと気に入ってたと思う。素晴らしい出来だからね、そのことにはものすごく感謝している。でも僕は、あの作品と自分を結びつけることがどうしてもできないんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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