ウィーザー『ブルー・アルバム』知られざる10の真実

9. バンドはアルバムがプラチナムを記録した後、「セイ・イット・エイント・ソー」を別バージョンに差し替えている

クオモが書き上げた「セイ・イット・エイント・ソー」は、タイトルこそ決まっていたものの、歌詞がなかなか付けられなかった。物悲しいそのタイトルフレーズからクオモが連想したのは、自宅の冷蔵庫内に継父の酒のボトルを発見した時に思い出した、子供の頃の辛い出来事だった。クオモはそのボトルを見て、彼が4歳の時に家を出て行った実の父親で、アルコール中毒のジャズドラマーだったFrankのことを思い浮かべた。家を出て行ってからも彼が酒浸りだったことを知っていたクオモは、冷蔵庫内のボトルは継父が自分を捨てる原因になるのではないかと危惧した。フィクションではあるものの、その時に感じた不安(および不在がちな実父に対する怒り)から生まれた「セイ・イット・エイント・ソー」の歌詞は、Frankをモデルにしたアルコール中毒の人物が「全てを整理」し、都合よく「神と出会った」ことでペンテコステ派の宣教師になるというエピソードを描いている。「当時の僕は怒れる若者だった。典型的なジェネレーションXで、何かあるとすぐに中指を立ててた」クオモは2014年に本誌にそう語っている。1995年に同曲がチャートを駆け上がると、Frankはクオモと連絡を取り、以降2人は少しずつ関係を修復していった。「今じゃ頻繁に会ってるよ」クオモはそう話す。「自分が父親になったことで、両親のことを許せるようになったんだ」

気づいた人は多くないに違いないが、ラジオ(とミュージックビデオ)版の歌詞は音源とは微妙に異なっている。同曲は『ブルー・アルバム』からの3枚目にして最後のシングルに決定した後、ドラムトラックにわずかに修正を加え、コーラス部にギターのフィードバックを乗せた別バージョンが作られた。『ブルー・アルバム』は既に100万枚以上を売り上げプラチナムに認定されていたが、メンバーたちはそのバージョンをオリジナルよりも気に入り、アルバムの再プレスにあたって曲を差し替えることにした。その後同作がさらに約200万枚を売り上げたことを考えると、ファンは3分の2の確率で新バージョンを耳にしていることになる。



10. クオモはバンドの2ndアルバムとして、『Songs From the Black Hole』と題されたSFロックオペラを発表するつもりだった

『ブルー・アルバム』のリリースツアーに出ていた頃、クオモは『ジーザス・クライスト・スーパースター』や『レ・ミゼラブル』等の演劇のサウンドトラックにのめり込み始めていた。音楽とストーリー性の融合というアイディアに感化された彼は、突如手にした名声がもたらした不信感と困惑を反映したフィクションを自ら作り上げることにした。「僕は当初ウィーザーの2ndアルバムを、ロック的なサウンドよりもシンセサイザーやニューウェイブ調のトーンを駆使した、宇宙旅行をテーマにしたロックオペラにするつもりだった」彼は2010年に本誌にそう語っている。1994年のクリスマス休暇の際、彼はギターと8トラックレコーダーを持って実家に引きこもり、新曲のデモをレコーディングしたり、『アビー・ロード』のB面や『狂気』さながらに過去の曲群をメドレー形式で繋いだりしていた。

クオモは試行錯誤を繰り返したのち、2126年の世界を舞台にBetsy Ⅱという宇宙船が冒険を繰り広げるSFファンタジーを考案した。「男性3人と女性2人とアンドロイド1体からなるクルーは、何かしらを救出するミッションについてるんだ」彼は2007年に本誌にそう語っている。予定ではブライアン・ベルとマット・シャープがそれぞれWuanとDondoという熱心な乗組員を演じ、バンドが信頼を寄せるKarl Kochが(ヴォコーダーを使って)ガイダンスコンピューターのM1の声を担当することになっていた。クオモ自身はというと、レイチェル・ヘイデン(ザ・レンタルズ)とジョーン・ワッサー(ザ・ダンビルダーズ)が演じる2人の女性乗組員との三角関係に悩む気弱な隊長ジョナスに扮する予定だった。物語はBetsy Ⅱが目的地に到着し、ジョナスが平凡な生活に戻ることを望むという形で幕を閉じることになっていた。「急に名前が知れ渡り、長いツアーに出て、アルバムがチャートを駆け上がるっていう、当時の僕が実際に経験していたことの比喩だったんだ。すっかり途方に暮れていた僕の心境を示してもいた」彼は後にそう話している。気付いた人は多くないに違いないが、Betsyはウィーザーの最初のツアーバスの名前だった。



しかし1995年3月に、子供の頃から抱えていた問題を解消するために足を引き伸ばす手術を受けた直後から、そのプロジェクトに対するクオモの情熱は薄れ始める。大きな苦痛が伴うリハビリを経験するうちに、彼の関心は「冗談めいた」SFオペラから「僕が見ていたもっと深刻でダークな場所」へと移っていった。晩夏から秋にかけて断続的に進められたセッションからは「Blast Off!」「ロングタイム・サンシャイン」「アイ・ジャスト・スルー・アウト・ザ・ラヴ・オブ・マイ・ドリームス」「タイアード・オブ・セックス」「ゲッチュー」等の原型が生まれたが、脚本調のそのバックストーリーは排除された。Kochはこう説明する「彼らは『Songs From the Black Hole』の本質を表現する方法、あるいはその案を形にする価値があるかどうかについて議論を重ねた。リハーサルの場に持ち込まれたものもあれば、実際にライブで演奏された曲もあったし、最終的に2ndアルバムに収録されたものもある。その頃にはコンセプトは様変わりしてたけどね」

同年末の時点でクオモはスポットライトからさらに遠ざかる道を選び、クラシックの作曲について学ぶためハーバード大学に進学する(後に英語も専攻している)。その頃に書かれた曲群には彼が覚えていた孤独感が滲み出ており、『Songs From the Black Hole』用の曲との接点はほぼ皆無だった。1996年1月にロサンゼルスのSound City Studiosで数回にわたって行われた仮セッションを経て、そのプロジェクトは事実上破棄された。

スペースオペラのコンセプトから生まれた曲群の中からは、「タイアード・オブ・セックス」「ゲッチュー」「ノー・アザー・ワン」「ホワイ・ボザー?」の4曲が1996年発表の2ndアルバム『ピンカートン』に収録されている。また「デヴォーション」「ウェイティング・オン・ユー」「アイ・ジャスト・スルー・アウト・ザ・ラヴ・オブ・マイ・ドリームス」の3曲は、「エル・スコルチョ」と「ザ・グッド・ライフ」のB面曲として発表された。またファイル共有サイトでやり取りされていたデモやラフバージョンの一部は、後に『Alone』シリーズに収録された。その幻の作品を(ブライアン・ウィルソンの『ザ・スマイル・セッションズ』さながらに)完全な形で発表してほしいというファンの声は耐えないが、クオモは頑なに拒否し続けている。「人々の想像やイメージの中で、『Black Hole』は原型をとどめていないほどに形を変えてしまった」彼は2007年にそう話している。「アルバムの3分の1くらいは単なるスケッチだったし、曲の大半は『Black Hole』を念頭に置いて書かれたものじゃない。曲はあのコンセプトを考えつく前からあって、『Black Hole』のコンセプトに合わせて少し手直ししたりもしたけど、結局そのアイディアは破棄した。曲は大幅にアレンジされて、最終的に『ピンカートン』に収録された。それ以外には曲とも呼べないような代物がいくつかあっただけで、実際に『Black Hole』のために書かれた曲自体はせいぜい2〜3曲程度だ。だからそんなに大層なことじゃないんだよ」

Translated by Masaaki Yoshida

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