露軍拘束の米軍事アナリスト、「強奪・脅迫・地下室監禁」の10日間を語る

装甲車から放り出されたウクライナ人

その後、私と妻は装甲車両の中に押し込められた。続いてふたりのウクライナの民間人が投げ込まれ、脚の上に重なった。ふたりは後ろ手に縛られている。この状態のまま、車は1時間半ほど走った。移動中、ロシア兵のひとりが私の金の指輪を盗んだ。25年間肌身離さず身につけていたこの指輪は、私にとってかけがえのない宝物だ。アントニオが大学を卒業したら譲るつもりでいた。

そうこうしているうちに、車は森の真ん中で停車した。ふたりのウクライナ人は、極寒の泥の地面に放り出された。その後、ふたりがどうなったかは知らない。ロシア兵たちの残酷さを踏まえると、最悪の事態を想像せざるを得ない。

私と妻も車から降ろされ、立つようにと命じられた。座ることは許されず、あたりの気温は急速に下がっていく。夜が訪れるころには、私たちは寒さでぶるぶる震えていた。他のロシア兵が眠りについたら、森の奥に連れて行かれて、そこで射殺されるのだろうか? たしかに、これなら目撃者の心配はない。

私と妻は、向かい合った状態で2時間ほど立っていた。互いの手を取り合って暖をとり、盗まれずに済んだ唯一のものであるイリーナのハンドバッグを交代で持った。すると、私たちを不憫に思った何人かのロシア兵がわずかばかりの温かい紅茶をくれた。気温が更に下がるなか、私たちは運命を左右する命令を待ち続けた。

持っていた資料についていくつか質問された後、ロシア兵は私と妻をワゴン車に案内し、ロシア版のCレーション(訳注:米軍の戦闘糧食)のようなものと水を渡して去っていった。兵士が言うには、私たちは翌日また別の場所に移送されるそうだ。夜は定期的に運転手が様子を見に来ては、10分ほどエンジンをかけて車内を暖め、エンジンを切ってどこかに消えた。私たちはワゴン車の固い後部座席の上で眠ろうとしたが、翌日どんな運命が待っているかもわからない状態で眠ることはほぼ不可能だった。

翌朝、私と妻は四輪駆動車の中に押し込まれた。車は、焼けた軍用車両や民間人の車がそこここに散らばる道路を進む。地面からは、ミサイルの後部が飛び出ている。不発弾だ。見渡す限り、爆発と破壊の跡が広がっている。それは地獄のような光景だった。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE