露軍拘束の米軍事アナリスト、「強奪・脅迫・地下室監禁」の10日間を語る

ウクライナの人々を恐怖に陥れて、日常生活を破壊するための戦争

2022年2月14日。私と妻は仕事で会議に出席するため、スウェーデンの首都ストックホルムを訪れていた。ちょうど学校が休みだったこともあり、英国ケンブリッジの寄宿学校に通う息子のアントニオ・ブラジレイロも合流して一緒に休暇を楽しんだ。普段なら、アントニオはキーウの自宅で休暇を過ごす。息子はキーウで生まれ、2018年まで現地の学校に通っていた。いまも地元の親友の多くはウクライナで暮らしている。だがその時は、ウクライナ中がロシアによる侵攻を恐れていた。そこで私たちは、ウクライナ以外の場所でアントニオと落ち合うことになった。「いつかまた、この家に戻って来れるかな」。1月初旬にケンブリッジの学校に戻る前にアントニオが言った。「もしロシアが攻めてきたら、僕がこの家を見るのはこれが最後かもしれない」

アントニオがストックホルムからロンドンに戻ると、私たちは安全なストックホルムに残るという選択肢を捨ててキーウの自宅に戻った。いま振り返ってみると、自分がなぜこのような判断を下したのか理解に苦しむ。だが、当時の私たちにとって自宅から遠く離れた北欧の見知らぬ街でロシアがウクライナに攻め込むかどうかを見守るのは、考えられないことだった。

それに、イリーナのきょうだいとその家族だけでなく、イリーナの母もウクライナで暮らしている。キーウをはじめ、ウクライナのあらゆる街に友人がいた。私は、彼らを残していきたくはなかった。息子を育てた場所、誕生日や休暇を過ごした場所には、人を引き寄せる磁力がある。私たちの場合、その磁力は少し強すぎたのかもしれない。

3日後の午前4時ごろ、ロシア軍によるミサイル攻撃がはじまった。空襲警報が鳴り響き、私と妻は自宅の前を走る大通りの反対側の地下駐車場に避難した。地下駐車場の上はキーウ屈指の近代的な高級ショッピングセンターで、2軒のカフェと地下にはワインバーまで備えた24時間営業のスーパーマーケットも併設されている。ロシア軍による攻撃が続くなか、私たちは固唾を呑んでニュースを見守りながら、その日をやり過ごした。

夕方になると、ようやく自宅に戻ることができた。だが、その数時間後にまたミサイル攻撃がはじまった。私たちは、どうしていいかわからなかった。車でウクライナ西部を目指すこともできなくはないが、道路には車があふれ、何マイルにも渡って渋滞が伸びている。おまけに、キーウからポーランド国境まではどこを探してもガソリンなんて一滴も見つからない状態だ。キーウからの脱出は、もはや不可能だった。

辺りに立ち込める煙硝の臭いが私たちの無力感を募らせた。これはウクライナ軍に対する単なる軍事行動ではなく、ウクライナの人々を恐怖に陥れて日常生活を破壊するための戦争なのだ。具体的な軍事目的の達成は、ロシア軍にとっては二の次に過ぎない。そしてこの戦争は、現在も続いている。

【写真を見る】幸せな日々——家族でフロリダ州フォートローダーデールを訪れたとき。左からイリーナさん、ジョンソンさん、そして息子のアントニオさん。ウクライナで悪夢のような日々が待っているとは、このころは知る由もない。(COURTESY OF REUBEN F. JOHNSON)

Translated by Shoko Natori

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