露軍拘束の米軍事アナリスト、「強奪・脅迫・地下室監禁」の10日間を語る

手榴弾で脅迫

ロシア兵がカムリを略奪する間、私たちはただただ恐怖に震えていた。廃車同然のカムリを目にした茫然自失の状態から冷めやらぬうちに、私たちは宝物が荒らされ、壊され、盗まれるのをただ見つめることしかできなかった。イリーナは、家族の写真やピアノを弾く息子の姿を収めた動画などでいっぱいのハードディスクを持参していた。イリーナのハードディスクをはじめ、ほとんどのものはこの戦犯たちに盗まれ、どこかに売られてしまった。一生の思い出が一瞬にして失われたのだ。

ふとイリーナを見やると、顔から血が流れていた。奇跡と言っていいかどうかわからないが、私も妻も撃たれずに済んだ。それでも、砕け散ったガラスの破片がイリーナの左の頬を傷つけ、目にも細かいガラス片が入っていた。居合わせたロシア人の衛生兵が処置をしてくれたおかげで最悪の事態を免れたのは、不幸中の幸いだった。それでもイリーナは、いまも頬にガラス片が残っているような感覚があると言う。

ノートパソコンやハードディスクは、すべてロシア兵に奪われた。私の記事や保管していた資料、写真をはじめ、すべてが失われてしまった。その後、私たちを略奪したのと同じロシア兵が何十人もの民間人を拷問したあげく処刑し、無数の人々に性的暴行を加えたことがわかっている。ロシア兵たちは、レイプされた女性や子供たちの半焼けの状態の遺体や目を覆いたくなるほど大量の集団墓地を残していったのだ。

私たちを捕らえたロシア兵には、ノートパソコンの他に思わぬ掘り出し物が待っていた。ノートパソコン用のバッグの中を荒々しく探していたひとりが書類入れを発見した。そこには、私たちが貯めた息子の教育費が入っていた。「外貨だ!」そこにいたロシア兵の中でも一番タチの悪そうな奴が嬉しそうに札束を穴だらけのカムリに叩きつけた。

ロシア兵たちにとっては、人生最高額の宝くじを当てたようなものだ。息子の教育費と車、ノートパソコン、周辺機器、スマートフォン、宝石、カメラ、衣類、個人的な品々など、すべてを合わせると15万ドル(約2050万円)以上の価値があるのだから。

私たちを捕らえた直後、ロシア兵たちは金目のもの探しに注力を注いでいたが、そのうちに私の資料の山を漁りはじめた。ミサイルシステムの歴史に関する記事を書くための資料だ。いつ殺されるかわからない、という恐怖さえなければ、この光景は滑稽に映ったかもしれない。

これらの資料は、誰もが無料で閲覧できるオープンアクセス論文やプレスリリース、全ページの上と下の部分に「非機密扱い」と太文字で記された政府刊行物だった。それなのに、低脳なロシア兵たちは、私が超重要任務に携わる諜報員であると確信した。有頂天になった彼らは私のコートのポケットに手榴弾を入れ、所属している情報機関を明かさないとピンを抜くと言って脅した。

金目のものをすべて盗み終えると、私たちは近隣のビルの暗い地下室へと連れて行かれた。そこには、大勢の民間人が拘束されていた。そのうちのひとりは、ひたすら自分の携帯番号を連呼している。私が番号を記憶して、誰かに報告することを期待しているのだ。民間人がここに拘束されている理由はわからないが、助かる見込みがないことはわかった。実際、彼らの多くは周辺の集団墓地の中から発見された。

Translated by Shoko Natori

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