高田渡が探った自分のルーツ 佐久間順平とともに振り返る

風 / 高田渡

田家:高田渡さんの孤独感というのはどういうものだったんだろうと思いながら、この曲を聴いてました。

佐久間:僕も後で知ることになるんですけど、高田渡さんのおじいちゃんの時代から書いてある本があるじゃないですか。

田家:本間健彦さんの『高田渡と父・豊の「生活の柄」』ですね。

佐久間:あれを読んだ時に、岐阜で没落して落ち延びて東京に出てきたんだ、というのが分かったんですね。渡さんは4人兄弟の一番下ですけど、小さい時にお母様を亡くされてお父さんに育てられた感じがあって。お父さんは優しい方だったけど、社会的にちょっと破綻していたというのもあって、東京に出てきて働いてフォークシンガーとして歌うんだ、という感じなんですね。なので、どこかに愛情をちゃんと受け取れなかったということがあるんじゃないですかね。それがお酒にも結びついてくるような気がします。

田家:なるほど。お聞きいただいたのは、佐久間さんが選ばれた1993年の曲「風」でした。



田家:ただいまお聞きいただいているのは佐久間順平さんが選ばれた本日の5曲目「ブラザー軒」。これは順平さんがカバーされた曲ですが、これをカバーしようと思った理由は?

佐久間:「ブラザー軒」という歌詞は日本の詩人・菅原克己さんの詩なんですが、毎年一度集まりがあるんです。渡さんは「ブラザー軒」で菅原さんを世に広めたということで会に呼ばれていて、そこで歌ったりしていたんです。その経緯があって、渡さんが亡くなってからは漣くんとかも呼ばれていったんですけど、僕もお声がかかって。出版社の方が、菅原克己さんの全詩集を贈ってくださったんですよ。そこに「ブラザー軒」だけじゃなくて曲を作ったらどうだという意図を感じて(笑)。何曲か作ったんですよ。

田家:それでこの曲の入っている2019年のアルバム『美しい夏』が生まれた。全部、菅原さんの歌詞を集めたものなんですね。

佐久間:その中の1曲として「ブラザー軒」もカバーさせていただいたということですね。

田家:この曲は晩年の代表曲になるわけですが、順平さんがずっと渡さんをご覧になってきた中で、この辺から晩年かなというのはあるんですか?

佐久間:渡さんって少し変わった人で、若い時からじじいになりたがってたんですよ。老成したいっていうか、なんだろうな(笑)。

田家:若いっていうことが嫌だったのかもしれないですね。

佐久間:それよりも知恵を持ったおじいさんみたいなものに憧れて、ずっとそれをやってきたなという感じなんですよ。さっきのヒルトップ・ストリングス・バンドの時は、渡さんが27、8くらいですからね。その時はあのテンポですから元気だったんですけど、だんだんじじい志向になっていくというか。その頃から、おじいさんの領域に入りたがっていたからもう晩年だったんじゃないでしょうか(笑)。

田家:意識して晩年になろうとしていたと。晩年のステージの様子もこの後お伺いしていこうと思います。続いての曲は、1999年のアルバム『Best Live』から「ブラザー軒」です。

ブラザー軒(LIVE)/ 高田渡

田家:なぎら健壱さんが、渡さんが「ブラザー軒」をステージで歌っている時のエピソードが紹介されているんですが、これが面白いですね。歌いながら寝てしまった。

佐久間:二番を歌い終わったらスーッと静かになって、ギターも弾かないし動かなくなったんですね。僕も横にいて、起こすのもなあと思っていたんですけど。渡さんがふと目が覚めて、何事もなかったようにまた二番から歌い始めたんです。それで三番まで歌った時に、「あ、これさっき歌いましたね」と(笑)。ちょっと記憶は残ってたんですね。どこまで画策してるのかよく分かんないです(笑)。

田家:なるほど。この「ブラザー軒」については、来週高田漣さんにまたお聞きしようと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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