高田渡が探った自分のルーツ 佐久間順平とともに振り返る

田家:今年の1月になぎら健壱さんが『高田渡に会いにいく』という本をお出しになっています。渡さんのお兄さんと元の奥様、高田漣さんとシバさん、そして佐久間さんの5人の方のインタビュー、証言集みたいなものですね。マニアックで面白かったですね(笑)。佐久間さんはインタビューが一部と二部に分かれておりまして、費やされているページ数も一番多かった。

佐久間:渡さんが2005年に亡くなって、出版物やCDなど色々なことに彼のことが書かれて、大体のことは知られるようになったと思うんです。それから10数年経って、なぎらさんがどうしても表に出てこない裏の話があるはずだ、そこを探りたいということで。それでインタビュー形式で探りを入れながら話して、ちょっと場所変えようかと言って飲み屋に行ったり(笑)。

田家:つまり、なぎらさんが一番訊きたいことが多かった人が、佐久間さんだったんだろうなと思ったんですよ。

佐久間:一緒にバンドを組んでいたし、解散しても渡さんのバックで付いていて一緒にいる時間も長かったので、人に言えないことも載っていたりします(笑)。

田家:今日は思い出の曲を選んでいただきながら、話を進めていこうと思います。順平さんが選ばれた1曲目「生活の柄」からどうぞ。

生活の柄 / 高田渡

田家:ベルウッドから1971年発売のアルバム『ごあいさつ』の中からお聞きいただいております。渡さんのデビューは1969年、URCの『高田渡 / 五つの赤い風船』という片面ずつの作品でしたが、順平さんがフォークデュオ・林亭を組んだのも1969年で、同じ時期から始まってるんですね。

佐久間:僕はそれまでずっと洋楽を聴いていたんですよ。ブラザース・フォア、キングストン・トリオ、PPM、サイモンとガーファンクル。ビートルズも最初からずっと聴いていて、高校の頃はビートルズの最後のアルバムも毎日聴いていたんですが、ある時、友達が高田渡さんのアルバムを持ってきたんです。

田家:『高田渡 / 五つの赤い風船』ですか?

佐久間:たぶんこれだったと思うんです。聴いた時にビックリしましたね。

田家:やっぱり違う何かがあったということですよね?

佐久間:それまでは洋楽が一番で、日本の歌謡曲やGSはその次だと勝手にかぶれてたんです(笑)。でも、日本語でこんな歌を歌う人が出てきて、これはなんだろう! ってビックリしましたね。

田家:確かにビックリしますよね。林亭を見出したのは、高田渡さんだったそうですね。

佐久間:そうですね。大学に行って、吉祥寺にある「ぐゎらん堂」っていうライブハウスがあってよく遊びに行っていて。

田家:この話は後ほど伺いましょう。お聞きいただいたのは、「生活の柄」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE