高田渡が探った自分のルーツ 佐久間順平とともに振り返る

仕事さがし(LIVE)/ 高田渡

田家:これは覚えてらっしゃいます? ギターが順平さんで、ハーモニカが松田幸一さん。先程のボソボソ言うライブがこれですね(笑)。

佐久間:なんとなく覚えてますね。アルコールでダメになっていく加減というのがあって、ここら辺がまだ元気だったときかもしれないですね(笑)。

ダイナ / 高田渡 & ヒルトップ・ストリングス・バンド

田家:続いて流れておりますのが、ヒルトップ・ストリングス・バンドのアルバム『バーボン・ストリート・ブルース』の中の「ダイナ」。ボーカルとギターが順平さん、渡さんはマンドリンですね。ヒルトップ・ストリングス・バンドのメンバーは、ボーカルとギターが高田渡さん、ギターとマンドリンが佐久間順平さん、バンジョー・小林清さん、ベース・大庭昌浩さん。そこにトランペットの外山喜雄さん、クラリネットの後藤雅広さん、トロンボーンの池田幸太郎さん。アルバムには11曲が収録されていて、渡さんボーカル5曲、佐久間さん3曲、小林清さん2曲、インスト1曲。アルバムのライナーノーツには、小林さんが井の頭公園でセッションしたのが始まりだったと書いています。

佐久間:小林清さんは今はウクレレの大家として、全米でも話題になったりしているんですけど、実は彼はギターも上手だし、この時は4弦バンジョー、ベースの大庭昌浩さんはいま珍太さんと呼ばれていますが、小林さんと珍太さんともう一人で吉祥寺のピザ屋のシェイキーズで生演奏していて。その練習でたぶん井の頭公園にいたんじゃないでしょうか。そこにたまたま渡さんが通りかかったのかもしれないですね。

田家:このアルバムのレコーディングは3日間だったと渡さんはライナーノーツで書いていました。このアルバムのライナーノーツには、プロデューサーの小室等さんは「高田渡はバンドをやりたかったんだろう」と書かれてましたね。

佐久間:たぶん楽しいことが好きだったと思うんです。だから、武蔵野タンポポ団も皆で楽しいことやってみようよと始めたような感じじゃないですか。それとは別に自分個人の歌、と二つあったと思うんです。自分の歌は自分の歌としてストイックに追求されていたと思うし、バンドの方はジャグバンドとかカントリーバンド、ニューオリンズジャズバンドとか色々なものを叩き台にして、面白かしく皆でできないかなっていうことで作っていったと思います。

田家:どの曲を誰が歌うのかはどうやって決めたんですか?

佐久間:どんな風にやろうかというところから始まって、最初にやったのがアルバムタイトルの「バーボン・ストリート・ブルース」というニューオリンズの曲なんです。それに歌詞を作ろうと集まって、「抜けるような」という歌詞を作って、とにかくやってみようと。僕はエノケンさんの「ダイナ」っていう歌を歌えるかもしれないと思ったり。

田家:それは佐久間さんが仰ったんですね。

佐久間:ええ。そういう寄せ集めで、たとえば2時間でライブがあるとすると、バンドで始めて、途中渡さんのソロ曲があって、僕らもちょっとソロやったりして。で、またバンドに戻って全体のライブ、という流れになってましたね。

田家:その時は渡さんはもう「私の青空」を歌ったりしてました?

佐久間:たぶん歌ってたんじゃないかな……。

田家:じゃあ渡さんがエノケンさん好きなのはご存知だったんですね。

佐久間:そうですね。渡さんなりのルーツミュージックを探してたと思うんですよ。アメリカン・フォークソングに影響されているから、ミシシッピ・ジョン・ハートとかブルースマン、フォーク、カントリーシンガーを追っかけていたけど、それとは別個に日本の中でルーツになるような人を探していたんだと思います。そのひとりが添田唖蝉坊さんだし、川上音二郎さんの話はあまり聞いたことがないですね。でもやっぱり、エノケンさんのセンスはすごいですからね、渡さんも好きだったと思います。

田家:ヒルトップ・ストリングス・バンドには、エノケンさん的な雰囲気が溢れております。この曲もそうではないでしょうか? タイトル曲「バーボン・ストリート・ブルース」。

Rolling Stone Japan 編集部

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