聖飢魔IIの創始者「ダミアン浜田陛下」が語る、王道を貫くメタル愛

Damian Hamada’s Creaturesの成り立ち

―そうした人生のあり方もさることながら、このDamian Hamada’s Creaturesの成り立ち自体も非常にめずらしいものだと思います。陛下ご自身は、作詞・作曲にアレンジ、プロデュースに徹するというスタンスをとられていて、演奏はすべて僕(しもべ)たちに任せておられる。音楽家としてそこまできっぱりと割り切れるものなのでしょうか?

DH:なかなか説明が難しいところではあるな。あれは昨年の12月頃のことだっただろうか。事務所、いや、悪魔寺に宛てて「こんなものができたので世に出したい」というメールを音源とともに送った時点ですでに、「私自身はクラシックの作曲家のような立ち位置にいたい」と伝えていた。曲を提供して、音楽的な指示をするところまでは私が行ない、他の演奏家たちがそれを演奏する。つまり演奏家と作詞・作曲家という立場を分けて考えているというわけだ。ただ、クラシックの場合でも、前面に出てくるのは演奏者たちの名前ではなくベートーヴェンやモーツァルトといった作曲家の名前。それと同じように、あくまでダミアン浜田の名義でそれを世に出したいと考えた。おそらく世間一般のアーティストの多くは、自分が作った曲を自分で演奏したいと考えておるのだろう。私のような考えの持ち主というのは、まあ皆無であろうな。

【画像】ダミアン浜田陛下の目に留まり改臟人間にされた6人組「Damian Hamada’s Creatures」

―クラシックの場合は確かにそうかもしれません。ただ、ロックの場合、ある種のエゴや自己顕示欲というのも重要であるように思います。そうした部分を求めることを、陛下はあらかじめ放棄しておられるわけでしょうか?

DH:ああ、放棄していると言っていいだろうな。恥ずかしい話だが、さきほども言ったように、35年前の自分が教職を選んだのは、初志貫徹したかったからでもあるが、プロでやっていく自信に欠けていたからでもある。楽器を志す中で「この先どう頑張ってみたとことで、自分に行けるのはこのあたりまでだろう」という限界が見えてしまうことがある。それが私にもあった。しかも自分よりも上手い演奏家はたくさんいた。だから自分には無理だろう、という想いがあった。それから35年を経て、作詞や作曲に対する意欲がこうして湧いてきたわけだが、さすがに何年もギターを弾いてこなかったというのもあり、プレイヤーとして自分がそれを演奏するとなると、それは難しいと言わざるを得ない。しかも私の中には、それこそ専門誌でも認めてもらえるような、洋楽志向の者たちの耳にも響くようなクオリティの高いものを作りたい、という願望もある。そこで私は「自分で弾くべきではなかろう」という判断をし、潔く退くことにした。ただ、当初はスタジオ・ミュージシャンなど起用することを考えておったのだが、悪魔寺の侍従長が、「いやいや、そういう一時的、一過性のものではなく、ちゃんとライヴもできるようにバンドとして継続していけるようにしましょう」と言ってきて、メンバー探しをしてくれた。それでこのような形でどうか、ということになったのだ。

―素晴らしい選択だったと思います。演奏を託されたのは金属恵比寿の面々ですよね。作品で聴かれる演奏ぶりにも、元々バンドであるからこその合致感があるように思えます。

DH:ありがとう。確かに味気無さようなものは皆無だと私も思う。

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