聖飢魔IIの創始者「ダミアン浜田陛下」が語る、王道を貫くメタル愛

「ヘヴィ・メタルというのはこういうものだ」という概念のようなものが自分なりにある

―言い換えれば、そうした経験によって改めてご自身の音楽理論に裏付けを得た、ということなのでしょうか?

DH:正直、私自身のこれまでの生涯において、音楽的な理論を勉強したことがほとんどない。常に試行錯誤を重ねてきた。理論よりも感性を頼りに取り組んできた、ということになるだろうな。ところがクラシックなどに触れている中で、それまで私自身が「こんなことは音楽的に許されないんだろうな」と思っていたようなことを、歴史上の偉人たちが遠い過去に実践していたりすることを知ったりもした。そこで、ならば私もやってみよう、というチャレンジ精神が掻き立てられることもあったわけだ。

―クラシック、古典的なものというといかにもルールが多くて窮屈そうなイメージがありながら、実はそうとも限らない。そこはまさにハード・ロック/ヘヴィ・メタルにも重なるところがあるように思います。様式に則っていることが必須とされているようなイメージがありつつも、実は、そのフォームの中でどれだけ幅を求められるか、いかに冒険できるか、という面白さがあるわけで。

DH:まさしく。様式として絶対外れてはならぬ枠のようなものはあると思う。ただ、私の場合はその枠を飛び出して行ったようなところもあるがね。今の私は、「ヘヴィ・メタルというのはこういうものだ」という概念のようなものが自分なりにあり、その中でいろいろと遊んでいるという感覚だといえる。昔やらずにいたことに手を出してみたり。

―なるほど。非常に根本的な部分なのですが、今回、こうしてご自身の名を掲げながら新たなスタートを切ることになった動機というのは、どのようなものだったのでしょう?

DH:実を言うと、教員を辞めたのは音楽活動を再開しようと思ったからではなく、やり切った感が私自身の中で大きかったからだ。もう3年ほど続けることも可能ではあったが、そうした感覚が強かったので休みをもらうことにした。で、自由な時間というのが最初のうち非常に楽しかったのだが、すぐに飽きてしまい、誤解を恐れずに言えば、ある種の暇つぶしのような感覚で音楽活動を始めるようになった。年老いた人間がゲートボールや新たな習い事を始めたりするのと似ておるな(笑)。ただ、言い換えればそれは“生き甲斐”でもある。これまでずっと走り続けてきただけに、これから先の人生における生き甲斐を見付ける必要が私にはあった。そこで、久しく触れていなかったギターを弾き始め、あくまで楽しみのために音楽に取り組んでみたところ、これが非常に楽しくてな。アイデアが次々と湧いてきて、これまでの生涯の中で一番のペースで曲ができた。結果、本当にこれが自分の生き甲斐になったように思う。

―つまり、長い教員生活の中でくすぶっていた想いが爆発したとか、かつてやり遂げられなかったことを達成してみたかったとか、そういったことではなかったのですね?

DH:違うね。なにしろ生き甲斐なのだから。ただ、くすぶっていた部分がなかったわけではない。当然ながら、聖飢魔Ⅱの構成員たちの活動をずっと見てきたのだからね。私は元々、教職をとるために教育学部に通っておった。35年前にはもちろん悩んだものだよ、どちらの道に進むべきかをね。ただ、やはり初志貫徹したいという想いが強かった。同時に、プロの音楽家として活動していく自信が当時の私にあまりなかったというのもある。そしてそれ以降、聖飢魔Ⅱは違う世界で活動し、「もしも私がそちらの道を選んでいたら」という世界をずっと見せてくれていた。そこで私自身、やはり自分もやってみたいな、という気持ちは常に少なからず持ち続けていたといえる。私がかつて聖飢魔Ⅱにいたのはまだアマチュアだった時代だが、当時感じていた「曲を作って、それを世に発表する」ということの楽しさを、今、思い出させてもらったような気がしておる。なかなかこのような人生を歩んでいる人間はいないのではないかと思うよ。まあ、私は人間ではないんだがね(笑)。

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