Friko決定版インタビュー 「王道の名盤」をめざした高い志、衝撃デビュー作が起こした奇跡の裏側

左からベイリー・ミンゼンバーガー(Dr, Vo)、ニコ・カペタン(Vo, Gt)

ニコ・カペタンとベイリー・ミンゼンバーガーからなるシカゴ拠点の2人組、フリコ(Friko)は日本の音楽界に前代未聞と言っていいセンセーションを巻き起こした。彼らのデビューアルバム『Where we’ve been, Where we go from here』は、今年2月にリリースされるや否やSNS上で日本のリスナーから絶賛の声が次々と上がり、わずか1週間ほどで日本のApple Musicの総合チャートで最高10位にまで上り詰めてしまったのである。海外の新人インディバンドがメディアのハイプもなく、SNSの口コミだけでこんなにも急激に盛り上がるというのは、ほぼ前例がない。フリコは純粋にその音楽が持つ力だけで、誰もが予想し得なかった驚くべき記録を打ち立ててしまった。



『Where we’ve been, Where we go from here』は、「USインディの良質な遺伝子の数々を受け継いだ作品」という文脈で理解されることが多い。無論それも本作の重要な一側面ではある。だが以下の対話に目を通してみると、フリコにとってはUSインディと同じくらい、もしくはそれ以上に英国ロックや「クラシックロックの名盤」からの影響も大きいことがわかるだろう。むしろ本作を特別なものにしているのは、時代やジャンルを超えた「王道中の王道の名盤」と同じようなレベルで人々の心にコネクトできる傑作をものにしたいという彼らの高い志。そしてそんな野心に見合った底知れぬポテンシャルをフリコが持っていることは、このアルバムに魅了された人たちなら既にわかっている通りだ。

もっとも、フリコは本国アメリカではまだこれからという状況。だが少しずつ、メディアからのピックアップや高評価も増えてきている。USインディの偉大な先人の多くがそうだったように、これからアルバム何枚かをかけて全米のファンベースやメディアからの信頼を徐々に固めていくこととなるに違いない。裏返せば、こんなに早い段階からフリコのような無限の可能性を秘めたバンドに出会えてしまった日本のリスナーは幸運だと言っていいだろう。

ニコとベイリーとの初取材は、実に80分近くに及んだ。現時点での決定版と言うべき、充実のロングインタビューをここにお届けする。




2人が意気投合するまで、生い立ちと音楽ルーツ

―もう知ってると思いますが、日本ではフリコがすごく盛り上がってるんですよ。アルバムは日本のApple Musicの総合チャートで最高10位を記録するという凄まじい勢いで。

二コ:いや、マジでめちゃくちゃ興奮しまくってるよ! 興奮しないわけがない。本当に青天の霹靂だから、もちろん戸惑いもあるけど。ただ日本でライブしたら絶対に楽しいし、念願だよね!って、前々から2人で言ってたんだ。うわ、なんか夢が現実に一歩近づいた感じ。

ベイリー:私もほんと、予想外の展開でビックリしてる! でも本当に光栄、興奮しまくってるよ。

―ニコが日本に行きたいと言ってる海外のインタビューを読みましたが、どんなところに興味があるんですか?

二コ:まるで異文化だから。基本、アメリカ国内旅行しかしたことなくて、ヨーロッパも1、2箇所行ったことがあるくらいなんで、日本みたいにまったく違うカルチャーの国に行ったらどうなるんだろう?っていう純粋な好奇心で。まるで別世界が広がってるんだろうなあって。

ベイリー:日本は写真では見たことがあるけど、すごく美しい国っていう印象。私もニコと同じで、自分が普段知ってるのとはまるで違う文化圏の中に身を置くってどんな感じなんだろう?って。だから、今のこの展開に本当にワクワクしてる。

二コ:最近になってから日本のアニメというか、どちらかというと映画に興味があるかな。日本の宮崎駿作品とか、子供の頃から大好きで、昔から好きな映像作家だよ。


左からニコ・カペタン(Vo, Gt)、ベイリー・ミンゼンバーガー(Dr, Vo)

―では初取材なので、基本的なところから訊かせてもらいます。あなたたちは同じ高校で音楽理論の授業を取っている同級生だったそうですが、具体的にどのように出会って、フリコの結成に至ったのでしょうか?

ベイリー:きちんと話をしたのは、実は高校を卒業してからなんだよね。

ニコ:音楽理論のクラスは一緒で、隣の席に座ったこともあったけど、会話はゼロだった。高校を卒業してから初めてまともに話して。

ベイリー:それもすごい話(笑)。で、『Where we’ve been, Where we go from here』のエンジニア兼プロデューサーで、私の幼馴染でもあるジャック・ヘンリーっていう共通の友人がいて。高校を卒業後、そのジャックの紹介で、最初は私のやってるバンドに「ニコはどうかな?」って紹介されて。それで仲良くなった後に、ニコが私をフリコに誘ったのがはじまり。

―最初はお互いにどんな印象だったんですか?

ニコ:ちょっとビビってた(笑)。ベイリーって、高校ではドラムがぶっち切りで上手い人って知られてたから、会うことになってめちゃくちゃ緊張して。しかも高校時代、まわりに自分が音楽作ってることを話してなかったし。(ベイリーに向かって)でも、はじめから超感じいい人だと思ったよ?

ベイリー:私も同じ。会う前からジャックにニコの音楽を聴かせてもらってたんだけど、圧倒されちゃって。「めっちゃいい!」って。 しかも、全部自分一人で作ったっていう話で。「楽器も録音も全部自分でやるなんて、凄い人がいる!」って。だから、はじめはちょっと緊張してた。「ヤな感じの人だったらどうしよう?」って、正直会うのが怖かった。(ニコに向かって)でも、最初からめっちゃいい感じだった(笑)。

ニコ:いやでも、それってそっちも同じじゃん? ベイリーも最初にあった頃、すでに自分の作品を作ってたし、楽器もボーカルも全部一人でやっててさ。だから、実は同じ時期にそれぞれ別々に同じことをやってたっていう。高校を卒業してすぐくらいだよね。


シカゴのコンサートホール、Metro Chicagoにて撮影(Photo by Alec Basse)

―そんなふうに2人とも音楽的素養が高いのは、家庭環境の影響もありますか? ベイリーのお父さんはプロのギタリストで、ニコのお父さんもギターをやってたんですよね。

ニコ:とはいえ、うちの父親は単純に趣味だから。ニコの父親みたいにプロじゃないけど、でも音楽好きではあったよ。

ベイリー:うちの父親はライブミュージシャンとして活動してて、大学でも本格的に音楽を勉強してた。だから家でも常にギターを弾いてたし、私が音楽を好きになったのも父親がきっかけみたいなもの。子供の頃から父親と音楽談義してたし、私も質問とかしたりして、 父親も一生懸命、音楽理論を説明してくれるんだけど、難しすぎて右から左にスルーで(笑)。 だから、普通に父親の傍にいるだけで音楽に触れてきたっていう感じ。あと姉がいるんだけど、姉が中学の頃にギターを始めたんだよね。だから、その2人の背中を追いかけるうちに、自分も自然に音楽に流れていった感じ。


Photo by Alec Basse

―当時お父さんが聴いていた音楽からは影響を受けました?

ベイリー:うちの父親はギターの神様みたいな、パット・セメニーだの、アラン・ホールズワースのファンで。自分も父親の影響でジャズを聴いたり……子供の頃はただ普通に当たり前のものとして聴いてて、年齢を重ねてからその偉大さをようやく理解したってパターンだけど。あとはオールマン・ブラザーズ・バンドとかね。うん、父親の趣味は完全にそっち系で。自分が惹かれるギタートーンって、わりと父親が好きだったギタリストのそれに近いかも、って思うことがある。若干ビブラートがきいてて、ほっこりするような感じっていうか。

ニコ:うちの父親はレッド・ツェッペリンとかクイーンとか、わかりやすいビッグな大物バンドを聴いてたのを覚えてる。子供の頃、最初に聴いたのがいわゆる王道ロックのバーンッて感じだったから。大人になってから、それ以外のモダンなというか、もっと繊細な音楽を聴くようになって。ソングライティングの面では、バーンって派手に魅せるのよりも、そっちのほうがむしろ自分に響くんだけど、でも、あのクラシックロックの大げさなノリが自分の土台の一部としてあるなっていうのは感じる。


ライブでのフリコは、デヴィッド・フラー(Ba)を交えた3ピースで演奏。「アルバムのなかでベースを弾いてるのは、ルーク・スタモスっていう自分の幼馴染。地元シカゴでライブをやるときはストリングスを呼んだりギター奏者を入れたり、色んな人が入れ替わり立ち替わりしてる」(ニコ) Photo by Alec Basse



―現在の自分の音楽観を形成する上で、もっとも大きな影響を受けたアーティストを挙げるとすれば?

ニコ:デヴィッド・ボウイかな。 14、15歳の頃だと思うけど、『Ziggy Stardust』を聴いて、一発目の「Five Years」が流れた瞬間に、「こんなの、聴いたことない!」って。何だかわからないけど、ものすごく自分の奥深くに響いて。それと、ボウイのあの佇まいだよね。完全に浮世離れした存在を地でいってるっていうか。「大人になるって、こんな自分にもなれる可能性が開かれてるんだ!」って、ものすごくワクワクして興奮したのを覚えてる。

―大人になった今、ボウイの長いキャリアの中で、どの時期に一番惹かれますか?

ニコ:うわ、鋭い質問だなあ……最近だったらベルリン三部作かな。特に『Low』、レコーディング的な観点から。とにかくクールだし、あの時期のボウイがやってた音楽って、何しろ実験的だったわけじゃない? もちろん最初の出会いは『Ziggy Stardust』で、自分にとって一生特別な作品であることには変わりないけど、最近自分が惹かれている作品でいったらベルリン三部作になるね。



―ベイリーはどうですか?

ベイリー:私はパラモアだな。最初に自分で見つけて、好きになって共感したバンドってこともあるし。中学の低学年ぐらいだったのかなあ、それまでそういうバンドをずっと求めてたんだよね。パラモアの音楽を聴いて、「ようやく自分のバンドを見つけた!」って思った。それだけじゃなくて、「これが将来、自分のやりたいことかもしれない」って思わせてくれた最初のバンドでもあるし。

―「これが自分のバンドだ!」と、もっとも強く思わせてくれたパラモアの曲は?

ベイリー:それで言うと、『Riot!』の1曲目「For a Pessimist, I'm Pretty Optimistic」かな。歌詞の意味なんて、まるで理解してなかったけど、ガンガン響いてきた。自分も小学校高学年から中学低学年ぐらいだったし。それでも、あのものすごいパッションには圧倒された。しかも、自分が生まれて初めて触れたヘヴィな音楽でもあって。何だかわからないけど、とんでもないものに自分は今触れてるんだ、っていう気になって。



―バンドをはじめるにあたって、2人の音楽的な共通項はどの辺だったんですか?

二コ:まあ、エモって言うと違うんだけど、ざっくりエモーショナルな音楽だよね。2人とも感情的にガンガンに来るような音楽が好きで、アメリカ中西部あたりの音楽というか、それは自分たちのアイデンティティを形成する上でかなり重要な位置を占めてる。

ベイリー:バンドでいうなら、ザ・マイクロフォンズとかじゃない? 仲良くなってから2人ともザ・マイクロフォンズのファンだってことを知ったんだけど。

二コ:あと、ビッグ・シーフとか。ビッグ・シーフはベイリーから教わって、一時期2人して相当ハマってたし。だから、ビッグ・シーフとザ・マイクロフォンズかな。


ザ・マイクロフォンズはフィル・エルヴラムがマウント・イアリへ改名する(2003年)以前の音楽プロジェクト。K Recordsから2001年に発表した『The Glow, Pt. 2』は2000年代初頭のUSインディロックを代表する名盤。2020年に同名義での復活作『Microphones in 2020』をリリース

Translated by Ayako Takezawa

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