石若とインタビュアーのジャズ評論家・柳樂光隆(Photo by Tamami Yanase)
東京藝大での出会い、『坂道のアポロン』と『BLUE GIANT』―東京藝大附属高校の打楽器科に進んで、そのまま東京藝大を卒業したわけですよね。学校での繋がりはどんな感じだったんですか?石若:そこではクラシックの同世代と仲良くなったんです。『タモリ倶楽部』にもよく出ていたサックスの上野耕平、常田大希や江﨑文武が同級生ですね。あと、坂東祐大が高校生の頃から2つ上の先輩で。いつも遊んでいてそのまま今に至るっていう感じです。
大希とはKing Gnuになる前の前の段階で、一緒に「閃光ライオット」に出たりしていました。当時の名前はMrs.Vinciだったかな。高校生の頃は周りがみんなクラシックの人たちだったから、学校のオーケストラの授業で一緒に演奏するくらい。大学になってからエレクトリック神社ができたての頃に、大希のプロジェクトのライブをやってましたね。彼の打ち込みというか多重録音の曲を再現する感じで、僕はドラムを叩きながらローズやシンセベースを弾いて、大希はギターとサンプラーを弾いて歌って、そこにゲストでYuta NakanoやJuaといったラッパーを呼んだり……ってことをやってました。
坂東祐大が劇伴を務めたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の挿入歌「All The Same」(2021年)。グレッチェン・パーラトが歌唱、BIGYUKI(key)、須川崇志(b)、石若が参加。Juaと石若が参加した、WONK「Real Love」(2016年の1stアルバム『Sphere』収録)―MELRAWこと安藤康平ともエレクトリック神社で出会ったそうですね。WONKとは昨年のラブシュプでも共演していましたが、江﨑さんとの繋がりは?石若:文武は藝大音楽学部の器楽科じゃなくて、音楽環境創造科の出身なので校舎は違ったんですけど、よく器楽科に来ていたんですよ。文武の存在は高校の時から知ってました。彼は福岡でスーパー高校生ジャズピアニストって言われていて、一緒にやってたドラムが
森智大くん、ベースが藝大のコントラバス科の僕の2つ上の先輩だったので繋がりがあったんです。たしか学園祭で、そのコントラバスの先輩と文武が久しぶりに演奏している時に僕が遊びに行って、スタンダードとかをやったのが文武との最初の演奏だったと思います。
その同時期くらいに始まったのが東京塩麹。文武と同じ音楽環境創造科の額田大志が主宰するミニマルミュージックのグループで、そこでも文武と一緒に演奏したりしていました。
―ermhoiさんのソロアルバム『Junior Refugee』(2015年)を額田さんが気に入って、そこから石若さんや常田さんとも知り会ったそうですね。石若:そうそう。あと、
中山拓海を中心にしたJAZZ SUMMIT TOKYOにも、僕と文武、額田大志が運営メンバーとして携わりました。それが大学卒業(2015年)の直前くらいの話ですね。
ermhoiが参加した〈上〉東京塩麹「Tokio」フジロックでのライブ映像(2018年)〈下〉Answer to Remember「TOKYO」(2019年)。ermhoiは馬場智章のゲストとして今年のラブシュプに出演する。4 Aces with kiki vivi lily(DAY1・5月13日出演)millennium parade、米津玄師、Vaundyなどとも制作を共にしてきたMELRAWこと安藤康平、渡辺翔太(pf,key)、古木佳祐(b)、橋本現輝(d)が自分達の"ジャズ"と向き合うべく集結。kiki vivi lilyをゲストに迎えてラブシュプ出演を果たす。―『坂道のアポロン』も大学時代の話ですよね。アニメが放送されたのが2012年。川渕千太郎役のドラム演奏/モーションを担当して「10代のドラマーが大抜擢」と話題になりました。石若:『坂道のアポロン』はデカかったですね。大学1年生の時にレコーディングをして、フジテレビで放送されたのが大学2年生の4月から。それが初めて自分が大人の社会と結びついた仕事だったんです。プロデューサーがいて、ディレクターがいて、アニメ制作のチームがいて、という感じの環境だったので。
TOKUさんが毎年モーション・ブルー・ヨコハマ(2022年に閉店)で3デイズのイベントをやっていて、そこにEXILE ATSUSHIさん、中西圭三さん、Zeebraさんなどのゲストが出演していたんです。僕も高3の時にそこで演奏したんですけど、そのステージを『坂道のアポロン』の音楽面をまとめていたEPICレコードジャパン(当時)の鈴木則孝さんが観てくれていたんです。それで翌年、「主人公がジャズピアニストのアニメで、仲間のドラマーが高校生なんです。キャラクターと同じ年齢のドラマーを探していました」とお誘いをいただいて。
ただ、実際にやってみたら、レコーディングでは右も左もわからなさすぎて、いろんな人に迷惑をかけた記憶があります。(同アニメの音楽監督を務めた)菅野よう子さんに怒られたりだとか。菅野さんはやさしい方だと思うけど、そのやさしい方を怒らせてしまうほどで(苦笑)。
―そこから10年後に『BLUE GIANT』をやってみてどうでした?石若:いやー、成長しました(笑)。『坂道のアポロン』の時は、自分のドラミングばかり考えていたと思うんです。「ここはこういうふうに叩いてください」「こういうシーンだから、こういう演技をしてください」と言われて、それを踏まえたドラミングをやってみたつもりなのに、スムーズに進めるのが難しかったりする。そうするとたくさんテイクを重ねて「何でやねん!」って思ってたんですよね。若気の至りみたいな尖ったところがあったというか。でも、その勢いの音は作品に込めることができたと思います。それから10年経った今は、「何を言われても、求められたことに対して最大限を捧げる」って境地にやっとたどり着けた。ここ10年の活動があるから今は自信があるし、何をやっても大丈夫って思えるんですよ。
―『BLUE GIANT』は上手くいったと。石若:楽しんでできました。しかし、(劇中音楽を担当した)上原ひろみさんには「玉田(俊二)は初心者の設定なのに、上手すぎるから全然ダメ!」って結構言われました。怒られたっていうより、しっかりアドバイスしてもらえたというか。
―初心者のドラマーが、主人公の宮本大にがんばってついていく設定なので、演技という意味では特に難しかったんじゃないですか。石若:そうなんですけど、監督の立川譲さんは僕に寄せてくれたところもあると思うんですよ。「木の棒と缶でリズムを出してくれないか」って言われて、玉田がそれに合わせてやるシーンがあって。そのとき玉田は、ドラムをやったことがないのにちょっと上手いんですよね。完成した映画を観た時に、もしかしてのもしかしたら、監督が僕に合わせてその流れを作ってくれたのかなと思いました。
―初心者だけどセンスがある設定になってると。石若:そうそう、僕にはそんなふうに見えたんです。