ザ・ピーナッツ、オリジナル・カバーポップスの走りを伊東ゆかりと語る



田家:1963年4月発売、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」。作詞岩谷時子、作曲宮川泰。さっきの下宿なんですけども、写真だと木造家屋で2階にいますよね。

伊東:ピーナッツさんは駐車場の上の木造にいました。お台所の裏手の方にプレハブ住宅っていうのが流行りかけたのかな。私たちはプレハブで2階で4段ベッド。中尾さんと私と後からの梓みちよさん3人でそこにいました。

田家:かなり広いお宅だったんでしょうね。

伊東:今考えれば結構広いお宅でしたよ。お庭も広かったし。

田家:応接間にテレビ局の人とかレコード会社の人がたくさん集まって。

伊東:応接間じゃなくて日本間。夜集まってきて、そこで麻雀が始まる。そこにお茶を運んだり、おにぎり運んだり、いろんなディレクターの方とか新聞社の方と初めましてとかご挨拶して。ミエさんなんかはずっとそこにいてお話したり。私はすぐ引っ込んじゃって(笑)。

田家:宮川さんのレッスンはまた別の時間に。

伊東:そうです。昼間聞こえてくるんですよね。よくハモってるなとか、さすが姉妹なんだなとか思いながら聞いていました。

田家:岩谷時子さんにザ・ピーナッツの話を伺ったことがあって、「あれだけ行儀がよくて、いい意味の普通のお嬢さんはいなかった」っておっしゃってたんですよ。そういう感じはありました?

伊東:とにかく私が見てるピーナッツさんの姿は、いつも何か練習をしていましたね。歌の練習、それから振り付けの練習。どこで休むんだろうって不思議な感じがしました。お仕事のときは楽屋も違いますけど、どっちか1人が歌って、それにハーモニーをつけたり振り付けの練習。私の知ってるピーナッツさんは本当にあの人たちどこで休むんだろうって感じでしたよ。

田家:そういう2人が先ほどの「恋のバカンス」に次ぐこのヒット曲を歌いました。1964年9月発売、「ウナ・セラ・ディ東京」。

Rolling Stone Japan 編集部

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