ザ・ピーナッツ、オリジナル・カバーポップスの走りを伊東ゆかりと語る



田家:というわけで再びよろしくお願いします。1959年4月発売「可愛い花」。

伊東:これはピーナッツさんがユニゾンでで歌っていて、途中でわかれてハーモニーになるでしょ? あそこが好きですね。私は中尾ミエさんとよく歌ったんですけど、中尾ミエさんはメロディーで、私がハーモニー。私はつきちゃんひでちゃんって呼んでいたので、お姉さんのひでちゃんの方のハーモニーをずっと歌ったんですけど、ある時ピーナッツさんが中尾ミエさんと私の「ベストフレンド」っていうコンサートを見に来てくれて、「ゆかりたち合格!」って(笑)。「あとは、あなたたちに任せた」って言われて。

田家:合格って言われたときどう思いました?

伊東:やったね!ってミエさんと2人で。

田家:やっぱりそういう存在だった。ピーナッツは渡辺プロダクションが育成した第1号ってなっているんですが。

伊東:一時はみんなピーナッツさんの方に宮川泰先生やら社長やらが向いていて、ちょっとヤキモチを焼いたこともありますよ。

田家:渡辺プロダクションはクレイジーキャッツとか、いわゆる先週の話にあった米軍キャンプでやってらっしゃるジャズミュージシャンたちが所属していて、そこにピーナッツが入ってきた。所属アーティスト一覧っていう厚い本を見たら、ザ・ピーナッツの名前は1959年からなんです。伊東さんの名前はですね1958年の6月から。

伊東:ちょっと先輩なんだ。年数は(笑)。あの頃の渡辺プロさんはまだ始めの頃で、所属はクレイジーキャッツさんとかジャズの歌手の方が多かった。渡邊晋とシックス・ジョーズはもちろんそうですけど、こういう歌謡曲とかポップスを歌う人は私ぐらいじゃなかったかな。あとはみんなジャズの人ばっかりでした。女性歌手で小川洋子さん、丸山清子さん、宇治かほるさんにはメイクの方法を教わりました。笈田敏夫さんの奥さんになった方ですよね。

田家:皆さんジャズの方だった?

伊東:ですね。もちろんこの方たちもアメリカ軍のキャンプで歌ってました。

田家:いわゆる先輩後輩の順列みたいなものはあったんですか。先輩を立てろとか敬語を使えとか。

伊東:楽屋の振る舞いはうるさく言われました。特にクレイジーキャッツのハナ肇さんは楽屋のことはとってもうるさく言いました。私達は新人ですから、楽屋の奥に行くなとか、楽屋でギャーギャーギャーギャー騒ぐなとか、楽屋で歌の練習するなとか。先輩がしてる分にはいいけど、私達はまだ下っ端ですから聞こえない便所でしろとか。あと人の靴までちゃんと揃えなさいとか。そういうことはうるさく本当に言われました。しつけられましたね。

Rolling Stone Japan 編集部

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