戦後のガールポップ誕生伝説、伊東ゆかりと語る江利チエミ



(拍手)

田家:いいですね。やっぱりチエミさんすごいなと思いながら聞いておりましたが、1950年のミリオンヒット。パティ・ペイジが歌った曲ですね。

伊東:ワルツの女王って言われましたね、パティ・ペイジ。

田家:ひばりさんやいづみさんやザ・ピーナッツもカバーされていましたね。

伊東:いろんな方が歌っていますよね、この「テネシー・ワルツ」は。

田家:この曲を伊東さんは多分当時お歌いになっていた?

伊東:「テネシー・ワルツ」は、だいぶ後になって自分のコンサートをやるときに初めて歌いましたね。その時にはチエミさんの歌っているのとパティ・ペイジが歌っている曲、両方資料としていただきましたけど。

田家:これも改めて知ったんですけど、「テネシー・ワルツ」の訳詞が音羽たかしさん。ゆかりさんの「ラリパップ(誰かと誰かが)」の訳詞もされている。

伊東:音羽たかしさんは当時キングレコードのディレクターさんで、ペンネームなんですけど。

田家:和田壽三さんが本名でディレクターもされていた?

伊東:いや、私のディレクターは和田さんじゃなくて。和田さんは後々、あらかわひろしさんって名前になったり。

田家:なるほど。キングレコードにとってチエミさんはどういう存在だったんですかね。

伊東:あの当時、歌謡曲は春日八郎さん三橋美智也さんいらっしゃるでしょ? 向こうの曲を歌う人で江利チエミさんは看板だったんじゃないでしょうか? その少し後に、平尾昌晃さんが入ってくる。

田家:お父様同士がキャンプの繋がりでお知り合いになった。

伊東:うちは父がチエミさんのお父様とお友達だったのか、お家に2度ぐらい遊びに行ったことあります。原宿の方。

田家:それはおいくつぐらいのとき?

伊東:6歳とか7歳ぐらいじゃないですかね。あと、キングレコードでデビューしてからご挨拶に1回行ったかな。

田家:そういうお父様同士が知り合いだったという江利チエミさん。伊東ゆかりさんが選んだ2曲目はこの曲です。1958年の曲で「さのさ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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