戦後のガールポップ誕生伝説、伊東ゆかりと語る江利チエミ

コーヒー・デイト / 伊東ゆかり

田家:この "ウォウウォウウォウ"とかたまりませんね。

伊東:いろんな曲についてましたね。"ウォウウォウウォウ"とか"イェイイェイイェイ"とか。

田家:これは今聞いてどんなふうに思われますか?

伊東:あまりしゃかりきになっては歌ってませんね。パンチを効かせてって言われなかったのかな。

田家:14歳の中学2年生で「ポケット・トランジスター」を歌っています。

伊東:「ポケット・トランジスター」はしゃかりきに歌ってますね。聴き返して思わず私は笑ってしまいました(笑)。

田家:どっちにしようかなと思いながら「コーヒー・デイト」の方がゆかりさんらしいかなと思ってこちらにしました。最後にキャンプで歌ったのはいつになるんですか?

伊東:えー、覚えてない。「クワイ河マーチ」でデビューした頃はまだやっていました。段々キャンプがなくなってきたのかな。自衛隊になっちゃったりして。それで徐々に仕事場がなくなってきちゃった。

田家:そんな話を江利チエミさんの話と共々後ほど伺おうと思います 。もう1曲、ゆかりさんのカバーポップスをお届けしたいと思います。さっきの「コーヒー・デイト」と両A面だったんですね。「大人になりたい」。原曲はコニー・フランシスです。

大人になりたい / 伊東ゆかり

田家:「Too Many Rules」。ルールがたくさんあり過ぎるの、というまさに思春期の歌ですね。もう1曲、ヘレン・シャピロに「Don’t Treat Me Like A Child」っという「子供ぢゃないの」って歌があるんですが、これは弘田三枝子さんのデビュー曲で、再来週にお届けしますね。今の「大人になりたい」も漣健児さんが訳詞をしている。こういう洋楽ヒットに日本語の歌詞をつけたカバーポップスの最大の功労者が漣健児さんなんですね。シンコーミュージック、ミュージックライフの編集長。僕らは原曲よりも彼が訳した日本語でこういう曲を知ったんです。漣健児さんが訳詞をする前に洋楽に日本語をつけて歌っていたのが江利チエミさんなんですね。まずはこの曲からお届けします。1952年1月発売のデビュー曲。『テネシー・ワルツ』のB面です。「カモナ・マイ・ハウス(家へおいでよ)」。

Rolling Stone Japan 編集部

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